2011.04.02 [ 齋藤 健太郎 ]
裁判員裁判で無罪になった刑事事件が、高裁で逆転有罪となったというニュースが流れていました。
この事件は、今までの裁判官による裁判では無罪にならなかった事件だと思っていたので、高裁には注目していました。
結局、高裁は、裁判員が間違っていたという判断をしたことになります。
新しい証拠も出ていないのに、ただ裁判員が間違っていたという判断をすることは、裁判官の事実の認定に対する考え方を表しています。
それは、自分たちの方がより適切に判断出来るという発想ではないでしょうか。
とんでもない認定の誤りであれば、それもあるかもしれませんが、果たしてそんな事案だったでしょうか。
逆に、高裁が、裁判員裁判で有罪になった事件を、適切に無罪とする機能も果たしてくれるのであれば、それは良いことかもしれませんが、一方的に有罪にだけ変えていくような運用だけは避けて欲しいものです。
この件は、もっと議論がなされるべき重大な問題でしょう。
この事件は、今までの裁判官による裁判では無罪にならなかった事件だと思っていたので、高裁には注目していました。
結局、高裁は、裁判員が間違っていたという判断をしたことになります。
新しい証拠も出ていないのに、ただ裁判員が間違っていたという判断をすることは、裁判官の事実の認定に対する考え方を表しています。
それは、自分たちの方がより適切に判断出来るという発想ではないでしょうか。
とんでもない認定の誤りであれば、それもあるかもしれませんが、果たしてそんな事案だったでしょうか。
逆に、高裁が、裁判員裁判で有罪になった事件を、適切に無罪とする機能も果たしてくれるのであれば、それは良いことかもしれませんが、一方的に有罪にだけ変えていくような運用だけは避けて欲しいものです。
この件は、もっと議論がなされるべき重大な問題でしょう。