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FrappucinoとFrappicino

2013.12.31 [ 齋藤 健太郎 ]

海外のニュースをチラ見していて,面白い記事を発見しました。

あのスターバックスが,小さなビール業者に対して,警告文を送ったというものです。
警告文もそのまま公開されています。

スターバックスの「Frappucino」とそっくりの「Frappicino」というビールを出していたので,その使用を止めるようにという内容でした。スターバックスは「Frappucino」については商標を取得しているようです。
たしかにそっくりですね。一文字違いなのでそれで似ていないというのは難しいでしょう。発音もそっくりになると思いますし。
まあ,スターバックスのフラペチーノが有名だからといって,ビールにも使用されていると混同する人がどれくらいいるかという問題はあると思いますが,商標登録されているなら仕方がないでしょう。

少し調べてみると,日本でもしっかり商標登録がされています。
そして,指定商品については,第32類というビールを含む指定商品になっているので,日本でも「Frappicino」というビールを出すのは商標権侵害ということになるでしょう。

でも,このニュースの肝は,そこではなく,このビール業者の対応です。
この業者は,名前の使用を止めたうえで,皮肉を込めてビールの名前を「F word」と変更します。この「F word」というのは,いわゆる放送禁止用語のことを指しています。
そして,この業者は,スターバックスに6ドルの小切手を送りつけるのですが,その小切手をデザインしたTシャツを販売するなどします。
フェイスブックを通してこの問題を公開し,これらの対応をしたことで,結果として,全国的にも知名度を上げることになりました。

たくましいというか何というか・・・。それを社会が面白いとして受け入れるのもアメリカならではかもしれません。

さて,今年もあと少しになりました。
今年は大変お世話になりました。
当事務所も今年は弁護士3人という新たな体制の年でしたが,どうにか無事に終えることができました。
来年も宜しくお願い申し上げます。

心配です。

2013.12.31 [ 齋藤 健太郎 ]

私は,少しだけ人より心配性です。

子供がアメ玉を舐めていると,気道に詰まることを想定し,スマホでアメ玉が詰まったときの対処法をあらかじめ確認してしまいます。
なるほど,背部叩打方か。ハイムリック法はうちの子にはまだ早いのか。要するに逆さにして,背中叩けばいいんだな・・・でも今,高速道路を走行中だから路肩に止めてそこで下ろしてからじゃないとできない。しかし,高速で路肩に止めること自体が危険行為だ。桜塚やっくんの例もあるし。そう考えると早期にパーキングエリアにでも入らなければならない。あっ,気がついたら子供が寝てる!寝ながらアメとかありえない!すぐに排出させねば!
というような感じです。
二度とアメは食べさせません。

実際にアメによる事故は多いようですし,必ずしも杞憂というわけではないと思うのですが。

少し前の心配は,子供が階段から落ちるという事故の心配でした。
私は,事故による損害賠償系の仕事が多いということもあり,いつ不幸な事故が起きるかわからないという感覚があります。大切な子供をいつ失ってしまうかわからないのが人生です。
心配ばっかりしていても生きていけませんが,注意をして防げることであればベストを尽くしたい。

というような格好いいことを言っていますが,自分の命も心配です。飛行機に乗れば,常に墜落する可能性を考えてしまいます。少し飛行機が揺れるだけで,手に汗をかいてしまいます。子供の頃は,墜落すると同時にジャンプすれば衝撃がなくて助かるんじゃないかなんて考えたりしていました。
そもそも,あんな鉄の塊が空を飛ぶということ自体がおかしい。
なので,私はジェットコースターもできるだけ乗りません。

しかし,最近観た記事で,最近は特に飛行機は安全性が増しており,飛行機事故で死亡する確率は1500万分の1にすぎないというものがありました。これは毎日飛行機に乗っても4万年に1回という確率のようです。なんだか安心です。
しかも,ここ10年間の年間平均死亡事故数が33,死亡者数が720人であるのに対して,今年は,事故数が29,死亡者数が265人と,安全性が向上しているようです。
・・・え?結構死んでるんですね。これは油断できない。

来年は,心配事の少ない年にしたいものです。

弁護士会忘年会

2013.12.27 [ 神村 岡 ]

今年も残りわずかですね。

年末といえば忘年会ですが,昨日は札幌弁護士会の忘年会が東京ドームホテル札幌で開催されました。

私は,札幌弁護士会で総務委員を務めていて,忘年会の企画運営が総務委員の仕事なので,昨日は受付をしましたし,これから弁護士会の会報に載せる忘年会の報告記事を書くことになっています。

忘年会は会員同士が親睦を深め,歓談をする場です。100名以上が参加しますので,普段はなかなか話す機会のない先生方と話すこともできます。

いつからかはわかりませんが,忘年会の中の最重要イベントになっているのがビンゴゲームです。何しろ人数が多いのでなかなか当たりませんが,大の大人が揃って夢中になります。
私もこれまでは末等の宝くじ1枚しか当たったことがなかったのですが,今回はなんと7番目にビンゴになり,東京ドームホテルの食事券を当てました。
近いうちに妻と一緒に食事に行こうと思います。

マー君のメジャー移籍

2013.12.25 [ 神村 岡 ]

今日のニュースで,楽天のマー君のメジャー移籍を球団が認めることが発表されました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131225-00000022-asahi-spo

マー君のいちファンである私としては,メジャーでの活躍を見てみたかったところですので,うれしいニュースです。特に,これまでしばらくの間二転三転がありましたので,ようやくかという気持ちです。

ただ,球団にとっては苦渋の決断だったようです。

従来の制度であれば,移籍先の球団が選手を放出する球団に支払う移籍金は,マー君の場合100億円にものぼると予測されていました。
ところが,新たに合意された制度では移籍金の上限額が定められたため(約21億円),楽天はマー君を放出しても21億円程度しか得られないことになりました。単純に考えて,約80億円の損失です。
しかも,マー君を放出しようとしていた矢先の制度改変ですから,楽天がマー君の放出を渋るのも理解できます。

それでは,楽天が今日になって一転して移籍を認めた理由はどこにあるのでしょうか。

球団社長の会見では,マー君の球団への貢献が強調されています。マー君がいなければ今年の優勝はなかったでしょうし,観客の動員もかなり少なかったかもしれません。そのような多大な貢献をしたマー君の希望を尊重しようということです。

ただ,それだけではないような気がします。球団も一企業ですから,経済的な損得を考慮しないはずがありません。
楽天が重視したのは,親会社を含めた楽天に対するイメージだと思います。
マー君の放出を渋れば,楽天は選手を犠牲にして球団の経済的な利益を優先させたという目で見られ,特に,マー君のメジャー入りを待ち構えていた米国の国民からのイメージが低下することは目に見えています。
グローバル化を考えれば,マー君の移籍を認めた方が,実は経済的にもプラスになるということだろうと思います。


ロースクール時代の友人

2013.12.23 [ 齋藤 健太郎 ]

昨日,ロースクール時代からの友人と会いました。
彼は,某企業において企業内弁護士として活動しています。
本当は,タイミングが合わなくて会わないはずだったのですが,昨日の悪天候のために彼の飛行機が飛ばなかったおかげで(?),運良く会うことができました。

彼と最初に会ったのは,北大ロースクールの試験会場でした。なんだか妙にモミアゲの短い怪しい男がいるなーと思っていたら,たまたま私が仲良くなった後ろの席の人と友人だったようで,それをきっかけに色々と話をしました。
よく考えてみたらもうすでに10年前になるんですね。今では彼のモミアゲも普通になってしまいました。

その友人とは入学後も,一緒に自主ゼミをやったり,田村善之先生という知的財産法の鬼のような先生のゼミで共に学ぶという経験も得ました。ゼミの発表には相当な時間を費やし,発表前1週間くらいはそればかりをやって,前日はほぼ徹夜でした。業務に追われてなかなか勉強の時間が取れない現在の状況から考えれば贅沢な時間だったと思います。

彼は,そのときに学んだ知的財産の知識を生かして,メディア関係の会社で活躍をしていますし,著作権の論文も発表しています。そういう姿を見ると少しうらやましくなりますが,私も出版関係,デザイン関係の顧問先の著作権の相談や,商標の相談や事件の依頼を受けることもあり,その際には学んだことが生きていると感じます。
久しぶりに彼に会って,今後は,知的財産の分野についても,より専門性を高めていきたいという思いを強くしました。次は彼の結婚式で会えるのではないかと楽しみにしています。

秋分の日って何の日?

2013.12.23 [ 小西 政広 ]

今日は天皇誕生日です。


祝日って高校生まではとても嬉しかったです。

まあ今でもたまった仕事をじっくり進められるので嬉しいんですが。


国民の祝日に関する法律を初めて読んでみました。


それぞれの祝日の意味は法律で定められていたんですね〜。

春分の日と秋分の日に,それぞれ意味があったのは驚きました。

何が驚きって,昼と夜の時間が同じ日という以上に認識していませんでしたから。

しかし,祝日をわざわざ法律にする意味ってあるんですかね。法律上の根拠が無くても,行政限りで祝日は定められるように思います。

ちょっと考えてみます。


祝日の意味が書かれた,法律の第2条を以下に引用します。

早速明日友人に話してみてください。


第二条  「国民の祝日」を次のように定める。
元日 一月一日 年のはじめを祝う。
成人の日 一月の第二月曜日 おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。
春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日 五月三日 日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日 五月四日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日 七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
敬老の日 九月の第三月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
秋分の日 秋分日 祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。
体育の日 十月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。
勤労感謝の日 十一月二十三日 勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
天皇誕生日 十二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。

登別温泉に行ってきました。

2013.12.23 [ 小西 政広 ]

小西です。


土曜日に,事務所の弁護士3人とその家族とで,忘年会を兼ねて登別温泉に1泊2日の旅行に行ってきました。


毎日顔を合わせている三人ですが,

場所を登別とし,着衣を浴衣にし,非日常の雰囲気の中,

風呂に入って,夕飯食べて,呑んで,夜中の2時にラーメン食べて,風呂に入って,呑んで,

などなどする中で,

今年1年の総括,来年1年間の過ごし方,弁護士としてどういうサービスが提供できるのか,更に将来の方向性

についてじっくりと話すことができました。

・・・場所と着衣以外はいつもと変わらない行動かもしれません。


弁護士3人で事務所を運営していくことによる強みがあります。

それは,問題を多角的に見ることができるということ。

お客様の抱える問題には一つとして同じものはありません。

それぞれに固有の特徴があります。

その固有の特徴をどう的確に捉えるかが,よりよい解決のキモとなります。

3人の弁護士が,それぞれの経験や知識,感性をもって問題を眺めたとき,その問題の特徴はより明確化され,よりよい結果に結びついていることを強く実感しています。


今後も,3人であることの強みを活かし,そして個々の能力を磨き,皆様に選択していただける事務所であり続けることを決意した旅行でした。




不倫の慰謝料についてのワンポイントアドバイス

2013.12.19 [ 齋藤 健太郎 ]

スコブルという雑誌に第5回目のワンポイントアドバイスを掲載しました。

http://sukoburu.toho-ho.jp/life/vol10/p83.html

思ったより安いと思われるでしょうか?
不倫の代償はお金だけでは計れないものだと思います。

黒子のバスケのファンが捕まった。

2013.12.18 [ 小西 政広 ]

捕まりましたね。

黒子のバスケの作者などなどに対する威力業務妨害で。

時折耳にする妨害行為の内容で,私怨なのかな,なんて思っていました。

捕まってみると,動機は「バスケ漫画の成功者に対するやっかみ」ということを語ったようです。

私怨も何も知り合いでもない。

そして逮捕時点からみてみると,ニュースを聞いた人は,「黒子のバスケ」ってそんな妬まれる程売れてて,面白いのかと思っているんじゃないですかね。

被疑者は,黒子のバスケのために居住地から遠く離れた場所まで多額の交通費をかける。24時間365日黒子のバスケのことを考える。そして自宅には,黒子のバスケ全巻所有。週刊少年ジャンプの,表紙が黒子のバスケの巻を全巻保有。

本当は応援したかったんじゃないかな。なんて。

しかし行いは冗談で済まされるレベルではない。

作者としてはやはりとても怖かっただろうし,それによって迷惑がかかっている小売店や読者に対して,申し訳ない気持ちだったのではないでしょうか。

取り返しのつかない事態に発展しなくてよかったですね。



ネルソン・マンデラの戦い方

2013.12.17 [ 齋藤 健太郎 ]

最近,95歳でお亡くなりになられました。
いわずとも知れた南アフリカの偉人です。

ネルソン・マンデラは,反逆罪に問われて終身刑となり,27年間刑務所に入っていました。
出所してから4年後に晴れて大統領になったというドラマのような人です。

そのネルソン・マンデラのことを良く知る友人が,彼の人となりについて語った記事を読みました。
彼の話によれば,マンデラは,刑務所に新たに入所してきた若者とチェスをしたのですが,そのチェスは,なんと三日間にも及び,最後には,若者が耐えられなくなってギブアップしたというのです。
まさに,このような戦い方は,彼の生き方そのもののように感じられました。

アパルトヘイトという黒人差別は,決して大昔のことではありません。
廃止から20年も経っておらず,本当につい最近まで行われていたことです。
私は,成年被後見人の選挙権が剥奪されることが憲法違反であるという訴訟の弁護団に入っていましたが,それも声を上げて訴えを起こさなければ,当然のこととして誰も疑問に思わなかったかもしれません(現在は,すでに改正されています)。

我々,弁護士の仕事も,長期戦が多く,私の医療事件についても訴えを起こしてからすでに5年を超えたものもあります。
私の仕事はマンデラの成し遂げたことには到底及びませんが,正しいと信じることについては,じっくりと粘り強く戦っていきたいと思います。

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