トップページ > 弁護士BLOG > 2014年3月

弁護士BLOG

本当に怖い実印

2014.03.05 [ 小西 政広 ]

実印は,印鑑登録をした印鑑のことをいいます。


みなさんは,日本社会において,実印がどれほど怖いものかご存じだろうか。

実印を他人に預けたりなどしていないだろうか。

実印と印鑑登録カードを預けたりしていないだろうか。


今すぐ返してもらいましょう。

あるいは,もう遅いかもしれない。


あなたが預けた実印,預けられた人が,あなたの意思に反して使ってしまった場合。

あなたの家族が,あなたの実印を使ってあなたになりすましてお金を借りた場合。


原則として,あなたが借りたことになってしまいます。

裁判所はきっとわかってくれる。

確かにそういうケースもありますが,実印を使われていると,最初から厳しい戦いになります。

さらに,印鑑登録証まで渡してしまっていると,よりつらくなるのです。


あなたの実印,印鑑登録カード,今どこにありますか?


古いけど大切な話

2014.03.04 [ 齋藤 健太郎 ]

遺言・相続の事件というのは,弁護士であれば誰でも扱う事件ではありますが,思ったよりも正確な知識が大切な分野です。


遺言がない場合の相続は,民法で定められている「法定相続分」に従って分けるのが基本ということになります。

現在の法定相続分は以下の通りです。

① 配偶者と子供がいる場合 配偶者が2分の1,子供が2分の1

② 子供がおらず、配偶者と父母が相続人になる場合 配偶者が3分の2,父母が3分の1

③ 父母も亡くなっており、配偶者と兄弟姉妹が相続人になる場合

 配偶者が4分の3,兄弟姉妹が4分の1です。


常に配偶者は相続人になりますが,その割合は少しずつ違うということになりますね。


今ではこれは当然のことになっていますが,実は,このような分け方となったのは,昭和55年の法改正の後のことであり,昭和56年1月1日より前に死亡した人は違う分け方がされます。


①の場合は子が3分の2で配偶者が3分の1,②の場合は配偶者が2分の1で父母が2分の1,③の場合は配偶者が3分の2で兄弟姉妹が3分の1だったのです。


配偶者の取り分が,とても少なかったのですが,法改正で増えたということになります。


ここがうっかりしてしまうところなのですが,現在でも,昭和55年以前に死亡した方の相続については,法改正前の割合が適用されるので注意しなければなりません。

そんな古い人の相続なんてないよ・・・というかもしれませんが,そんなことはありません。ずっと不動産の名義をそのままにしていたなんてことはよくあり,その場合には古い割合で考えなければならないこともあるのです。


昭和55年12月31日に亡くなるか、昭和56年1月1日に亡くなるかによって,もらう額が変わってしまうのも少し変な感じがしますね。

「ストーリーで学ぶ戦略思考入門」を読んで

2014.03.04 [ 齋藤 健太郎 ]

たまーに読んでる経営系の本です。

http://www.amazon.co.jp/ストーリーで学ぶ戦略思考入門―――仕事にすぐ活かせる10のフレームワーク-グロービス経営大学院/dp/4478025266

読みやすくてわかりやすいものを中心に手を出していますが,この本は特にわかりやすく大変面白く読めました。

日頃,顧問をさせて頂いている企業の相談を受ける際には,どうしても法的な観点からの相談ということに偏りがちですが,経営的視点から経営者の考えを理解しないと,適切なアドバイスをできない場合が多々あります。
ときにはリスクを負っても攻めなくてはならないこともありますが,弁護士はリスクをゼロにするアドバイスをしがちです。
そういう意味でも,このような本を通して経営についての考えを少しでも理解しておくことは重要ではないかと思います。

我が事務所の神村弁護士は,中小企業診断士というコンサルタントの試験に合格し,現在実務修習をしています。私も彼に負けないように勉強をしていきたいと思います。
月並みですが,より良いサービスを提供し,選ばれる事務所になりたいと思っています。

ジゴレット

2014.03.02 [ 齋藤 健太郎 ]

トイレットでもニコレットでもパンフレットでもなく,ジゴレットです。

これは,フランス語で「ジゴロ」の女性版の意味だそうです。

「ジゴロ」自体が,最近はあまり使わないのでよくわからない方もいるかもしれませんが,要するに女から金を搾り取って生きる輩のことです。ジゴロがフランス語だということは初めて知りましたが,言われてみると,なんだか洗練された響きが・・・。

私も女性を虜にする才覚があれば,ジゴロとして自由気ままに生きてみたいものですが,どちらかというと貢(みつぐ)君タイプかもしれません(これまた死語)。

弁護士をしていると,交際中の男性にお金を援助してしまった,あるいは貸してしまったけど別れて目が覚めたので返してほしいという法律相談を受けることがたまにあります。

援助をした場合は「贈与」ということになり,すでにあげてしまった場合には返してもらうことはできません。

一方で,貸した場合であれば返せと言えるのは当然ですが、現金を渡した場合や口約束の場合には,「お金を渡したこと」や「返す約束をしたこと」を証明することができずに苦労します。通常は証人もいないので,裏付けとなるメールでも残っていない限り,裁判では勝つのは困難でしょう。ちなみに,仮に裁判で勝っても、回収できない場合もあるので注意が必要です。しっかりとした財産がある人や勤務先がわかっているのであれば、強制執行での回収ができますが,「ジゴロ」にそのようなことを期待するのは無理というものです。後悔先に立たず。

昔に受けた相談では,かなり若い女の子と会ったこともないのに,メールと電話のやりとりで一緒に住むためにお金がいるといわれて,大金を振り込んでしまったというものがありました。これこそ現代型のジゴレットだったのでしょう。

男は,わかっていて騙されたフリをするのが一番格好いいですよね。一番格好悪いのは,騙されているフリをしていて,本当はすっかり騙されていることでしょうか・・・。

刑事待機日 事件来ました!

2014.03.02 [ 齋藤 健太郎 ]

今日は私は刑事待機日という日です。

みなさんが思うよりも毎日たくさんの犯罪が起きています。
覚せい剤の事件とか窃盗とか詐欺とか・・・。

そんなこんなで逮捕されてしまった方はどうやって弁護士を頼むか知っていますか?
元から知ってる弁護士がいるという場合には名前と連絡先を言うだけで弁護士を読んでもらえます。まあ平日なら事務所がやっているのですぐに連絡もついて弁護士を呼ぶことができます。それ以外にも多いのが奥さんや父親などの家族が知り合いを通して弁護士を探す場合です。
このような形で呼ぶときは「国選弁護人」ではなく「私選弁護人」として依頼を受けることが多いでしょう。
私も,そんなに多くはありませんが,たまに私選弁護人として依頼を受けることがあります。

一方で,逮捕された方が弁護士を知らないという場合は困ってしまいます。弁護士を探そうにも留置場の中にいると相談に行くこともできません。そういうときに力を発揮するのがこの当番弁護士制度です。
この当番弁護士の名簿に登録している弁護士は月に一回くらい待機日というものを割り当てられています。その待機日には休日であっても電話が通じる状態にしておかなければなりませんし電話がかかってきたら出来るだけ早く警察署などに接見にいかなきゃいけません。

前置きが長くなりましたが昼過ぎに電話があり事件が割り当てられました。
人数がそれなりにいるので今日は当たらないかなと思っていましたが,事件が結構あったようです。
さて,一体どのような事件でしょうか?

憲法解釈の変更???

2014.03.01 [ 齋藤 健太郎 ]

安倍政権が,「憲法解釈の変更」を行うというおかしなことを言っています。言うまでもないことなのですが,改めてそのおかしさを確認してみたいと思います。

「憲法解釈」というのは,憲法はどのように解釈される「べき」か?ということであり,本来,憲法の条文自体から導かれるものです。わかりやすくいえば,「答え」があるものです。
もちろん法律にははっきり書いていることもあれば,はっきり書いていないこともありますが,あまりに当然過ぎていちいち書かないこともありますので,そこで何が正しいのかを決めていく必要が出てきます。
それが解釈というものであり,政府がどう考えるかは無関係です。

我々法律家が学生時代から何をひたすら勉強してきたのは,法律をどのように解釈すべきかということです。
憲法については,憲法の条文や憲法の原則から,どう考えるべきなのかを議論するのが大切なことです。
したがって,解釈というのは誰かが変えるというものではありませんし,今までと違う解釈をするというのであれば,今まで間違っていたということを認めなければならないでしょう。

そういう意味では,政府が解釈を変更するという権限もないし,せめて「これからは憲法を正しく解釈する」ということを言わなければならないはずです。そのおかしさに全く気がついていないのが一番の問題だと考えています。

そもそも,憲法の改正をするために,改正の要件を定めた憲法96条を変更するという方針だったはずです。それも,憲法自体を変更しやすくするというおかしな話だったのですが,今度は,憲法を変えずに憲法を変えたのと同じ結果を導こうとしているようにみえます。

たしかに,自衛隊というものの存在自体が,憲法違反ではないかという強い疑念があるのに,それを許容してきたのは,政府の解釈ということもあり,憲法の解釈がとても緩やかだとの印象を与えてきたともいえます。

憲法第9条を見てみましょう。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この条文には「陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない」とありますが,自衛隊はこれにあたらないと考えるのはかなり厳しいというのが素直な解釈でしょう。

今,議論になっているのは「集団的自衛権」というものです。
同盟国であるアメリカが攻められたら,自衛隊が出動して攻撃をできるというものですが,自衛隊を無理矢理合憲としてきた「政府解釈」ですら,今までどうしても憲法に反しないとはいえなかったものなのです。
これは,「武力による威嚇又は武力の行使」を「国際紛争を解決する手段として」用いているといわざるを得ませんよね。

つまり,安倍政権は,憲法9条をあってないものにすること,すなわち「死に体」にしてしまうことが目的なのです。
このように解釈でどうにでもできるということを許すと,もはや政府は何でもできてしまいます。
それが最終的に国民である我々のもとに,大きな不利益として跳ね返ってくることに,十分に注意しなければなりません。

約束違反と債務不履行

2014.03.01 [ 齋藤 健太郎 ]

テニススクールに通うことをこのブログでご報告させて頂いておりましたが、子育てと弁護士業務に邁進していることが影響し(?)、未だ入会しておりません。
・・・全てはわたくしの不徳の致すところでございます。

私がテニススクールに通おうが通うまいがそんなことは皆様にとってどうでもいいことなのは百も承知ですが、宣言をしておきながら実行しないは信頼が問われる弁護士という仕事をしているものにとってはお恥ずかしい話であり、このまま何もなかったかのように過ごすことに良心の呵責を覚えるのです。

さて,あっさり話は変わりますが,最近,うちの3歳の娘が言うことを聞かないのでつい「後でいいものあげるからっ!」と言ってしまったことがありました。娘はその後,執拗に「いいものは〜?」と聞いてきます。当然いいものなんて用意していないので子供騙しを多用して切り抜けようとしますが全く納得せず。
約束というのは怖いものです。

一応法律の話をしますと、単なる約束破りと法的な意味での債務不履行(契約違反)とは大きく異なります。
簡単に言えば,それを裁判で強制できるかどうかという点が異なります。強制とはいっても,やらせようと思ってもすでに不可能となってる場合や,やらせることができない(やる気がない)ときなどはお金で解決ということになりますが,いずれにせよ何らかの形で責任を問われます。
友達との待ち合わせに遅刻しても,裁判で責任を問われるということはありませんが,納期に商品を納入しなければ責任を問われることがあるといった感じです。

では,問題です。
おじさんが甥っ子に「大学に入ったらポルシェを買ってあげる」という約束をした場合,これは裁判で強制できるでしょうか?
実は,単なる口約束ではなく,書面まで作成した場合には,裁判で請求できる可能性があります。

次の問題です。
妻のいる男性と「愛人になったら100万円あげる」という契約をした場合はどうでしょうか。
これは,良くない契約(公序良俗に反するなんていいます)ということで契約が無効になりますので,裁判でお金を請求することはできません。

かなり昔の事件ですが,「カフェー丸玉女給事件」という有名な事件がありました。
今でいうホステスさんに独立資金としてお金上げるよーと言って,その後,お金を払うという内容の契約書を作ったところ,その約束を果たせということで訴えられたという事件です。なんだかすごい事件ですよね。今で言えば,キャバクラで金持ちのふりをして,「かわいいなあ。君みたいな子だったら一人でお店をやっていけるよ。店を出すなら500万円だしてあげる」といったら,それを理由に訴えられたということです。
詳細は省きますが,大審院(今の最高裁)では,飲み屋でちょっと格好いいこと言っちゃっただけでは,裁判で強制することはできないよ・・・ということで差し戻されました。
結局,差し戻された後に,大阪地裁では男の方が支払うべきという判決となったようです。

いい加減なことを口で言うだけならいいですが,書面にするのはやりすぎたということでしょう。

教師の指導は適法だったか?

2014.03.01 [ 神村 岡 ]

先日,遠軽の小学生が自殺したことについて両親が町や道に損害賠償を求めた訴訟で,110万円のみの支払いを命じた1審判決を維持し,両親の控訴を棄却する判決が,札幌高等裁判所で言い渡されました。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140227/trl14022716400003-n1.htm

両親は,担任の教師の指導が厳しすぎたために小学生が死亡したと主張していましたが,1審では,教師の指導の違法性を認めず,自殺後の町の調査義務違反や報告義務違反のみを認めて,110万円の支払いを命じていました。

朝日新聞の記事では因果関係が問題となったかのような記載になっていますが,因果関係以前の指導の違法性のところが否定されています。

高裁判決の詳細はわかりませんが,1審判決の内容を見ると,裁判所は概ね町側の主張する事実関係を認定しています。そして,その事実関係を前提として,指導は厳しすぎるが違法とはいえないと評価しています。

損害賠償請求の訴訟を起こす場合,事実関係についての立証責任は原告にあります。そのため,原告が事実関係を立証しない限り,請求は認められません。

今回の件では,両親は,教師に違法と評価されうるような違法な指導があったことまで立証しなければならず,もともと難しい戦いを強いられていたといえます。

実際に違法な指導が行われていたのであれば適切な賠償がなされるべきです。
他方で,指導が多少厳しすぎたに過ぎないのであれば,やはり賠償請求が認められるべきではありません。

真相に基づいた解決がなされるのがベストですが,裁判所としては,訴訟の当事者から提出された証拠から事実を判断するしかなく,裁判所が認定した事実が真実とは限りません。ここに裁判の限界があります。

今回の判決が認定した事実関係が真実であればよいのですが・・・


<  | 1 | 2 | 3 | 

ページ上部へ