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鉛筆

2014.07.28 [ 小西 政広 ]

その昔,法律事務所で事務員としてアルバイトをしていた学生時代。

ボスの弁護士から,「これに頁番号ふっといて」

勢い勇んでボールペンで書ききりました。

結構怒られました。そして呆れられました。

渡された記録の中には,いわゆる「原本」が入っていたわけです。

証拠のコピーじゃない,証拠そのもの。証拠そのものなので,その書類を作成した人が作成したままの状態で保管しておかなくてはいけない。

たとえば,1000万円の借用書に,私がメモ書きで,端っこに,「500万円!!」とかかいてしまったりすると,それを当事者が書いたかどうかが争われ,「貸した額が500万に変更されたのではないか?」と無用の争いが生じたりするわけです。

そんなわけで,当事務所には,鉛筆削りがあり,削られた鉛筆を常備しております。

消せるので。

ちなみに司法試験は,鉛筆で書くと答案無効です。

世の中複雑ですね。

男はなぜ筋トレをするのか

2014.07.28 [ 齋藤 健太郎 ]

うちの小西弁護士が週に1回ジムに通っていて,だんだんと筋肉がついてきたと自慢してきます。
実際には,その筋肉の上に柔らかい脂肪がついているのでそれをまずは落としてみてはどうかと進めているのですが,「自分は痩せることはできない。痩せるのはできないが筋肉をつければいいんだ」の一点張りで,聞く耳を持ちません。

男がどうして筋肉をつけたいのかを考えてみましょう。
1 女性に筋肉をつけた姿を見せてモテたい。
 これはそれなりにあるのではないでしょうか。少なくともひ弱に見られたくないというのはあると思います。
 しかし,実際にはボディビルダーみたいな筋肉男を好きな女性というのは少なく,いわゆるソフトマッチョといわれる部類が一番モテるのではないでしょうか。そしてソフトマッチョを実現するには筋肉をつけるよりも皮下脂肪を減らすことが重要だと思います。
2 自分が筋肉がついていく姿を見て興奮する。
 これもありありですね。なぜか知りませんが,男は自分の身体に筋肉がついている姿を見るとなんともいえない恍惚感を感じるようです。しかし,武士でも軍人でもない我々には筋肉はほどほどあれば十分です。実際には筋肉があったから出世するわけでもセレブになるわけでもありません。ハリウッド俳優は別でしょうが。
3 健康のため
 ターザンとかいう雑誌では,筋肉をつけることが不可欠であるかのように扱われていますが,やっぱり筋肉がないと不健康なのでしょうか?ダイエットのための筋トレというのはあるかもしれませんが,重力に逆らうことができればとりあえず十分な気もします。

女性の場合だと,筋トレをするのはダイエットのためとか冷え性解消のためという理由が多いのではないでしょうか。
筋肉をつけた姿を人に見せたいからとか,筋肉がついた自分を見ていて興奮するからという理由ではありませんよね。
まあボディビルダーには女性もいるのでそういう方もいるのかもしれませんが。
英語で筋肉のことをmuscleといいますが,musculineという言葉は男性的なとか男らしいという意味になります。
アバクロという服のブランドでも,男性ものは「muscle」となっていますね(アバクロについては,過去ブログ参照。4年前には私もナイスバディに近づけるために運動を始めるなどと宣言していたようです)

男と筋肉の関係はなんだか深そうです。
小西弁護士に会ったら筋肉を褒めてあげてください。

ロースクール時代といわれる日がくるのか

2014.07.28 [ 齋藤 健太郎 ]

ロースクールを志望する人が減っているというニュースを良く目にするようになりました。

私は,ロースクールの1期生で,約10年前にロースクールの1年生として北大に通っていました。
私にとってのロースクールは,共に勉強する仲間と優れた教師がいて,議論をして徹底的に考え抜くという訓練をさせてもらった場所でした。一人で机に向かうだけでは得られないことが沢山あったと思います。

しかし,今ではロースクール廃止論も強く,「予備試験」というロースクールを卒業しなくても司法試験を受けられるという試験が人気になりつつあるようです。

土曜日に北大ロースクールで共に勉強した弁護士の結婚式がありました。
そこで久しぶりに同期の弁護士と会い,思い出話をしました。その頃の自分を思い出すと本当に勉強ばかりでしたが,同じ状況で同じ思いで過ごす人達がいなければそこまで頑張れなかったかもしれません。
ちなみに,私が実は弁護士になってはいるもののまだ試験があってそれに受からないと資格を失ってしまうという夢を見るという話をすると,かなりの人が同じ夢を見ると言っていました。うなされて目が覚めたときに,本当は試験がないことを確認したときのあの安堵感・・・。

私としては,北大ロースクールには感謝していますし,そこで共に過ごした仲間も貴重な存在です。
ロースクールがより優れた制度として存続することを望みます。

トトロの巨大人形

2014.07.28 [ 齋藤 健太郎 ]

最近,YouTubeで,おじいさんがお孫さんのために,巨大なトトロの人形(人ではないが)を作った過程を公開したビデオを目にしました。
日曜大工歴52年のうどん屋さんが,あの有名な猫バスを待つシーンの傘を差したトトロを作り上げるというすごいものでした。サイズも実際のトトロにかなり近いもので,その熱意たるや並大抵のものではありません。

正直,出来映えも素晴らしく,素人がここまで出来るということに感動いたしました。
国道沿いに設置しているため,写真撮影をされる方もいらっしゃるようです。

しかし,ここまでやるとやはり著作権法違反です。スタジオジブリの許諾を得ているとは思えません。
そして動画の最後に「みんなもやってみてね!!」のテロップ・・・。

著作権法では,複製とか翻案などということが禁止されています。
一方で,私的使用というものがあり,「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とするとき」には,複製したりすることが認められているのです。
たとえばいわゆる「キャラ弁」(そっくりなやつですよ・・・原型をとどめないものはそれ以前の問題)をお母さんがお子さんのために作ったとしても,それは私的複製ということになって適法でしょう。

しかし,気をつけなければならないのは,「公衆送信」といってネット上にアップする場合には,違法になってしまうということです。
巨大なトトロは複製ないし翻案ということについても私的使用には当たらずに許されませんし,YouTubeで公開しているということについても問題ですね。

裁判員判決の破棄

2014.07.27 [ 神村 岡 ]

先日,両親が子供に虐待を加えて死亡させたという傷害致死事件について,裁判員裁判によって出た判決の内容が重すぎるとして,最高裁判所が結論を変更し軽くしたというニュースが流れていました。


これまで,高等裁判所で裁判員裁判の内容が変更されることはありましたが,高等裁判所も支持した裁判員の判決を,最高裁判所で変更するというのは初めてのことです。

今回,最高裁が問題視したのは,裁判員が出した結論が,同種の事件と比べて重すぎるという点です。
同じような傷害致死事件でいうと,懲役10年以下が相場のところ,今回の事件で裁判員が出した結論は懲役15年でした。
かなり重めの結論だったということはわかります。

裁判員には,刑の相場を知る機会があります。
裁判所には過去の裁判についてのデータベースが蓄積されており,それを見ることで,同じような事件であればどの程度の刑の重さになっているのかを知ることが出来るのです。

もちろん,裁判員はその相場に忠実に従わなければならないわけではありません。
しかし,どのような裁判官,裁判員に当たるかという偶然の事情によって刑の重さが大きく左右されるという事態を防ぎ,被告人間の公平を図るため,刑の重さを決めるときは過去の事例の相場から大きく離れてはいけないという原則があります。
特殊な事情があり,この件に関しては特別に重くすべきだといえる場合には,当然重くすることは許されるのですが,そうでない限りは,相場を大きく離れた刑を科すことは公平を害し,適切ではないと判断されうるのです。

もっとも,どのような事件が「同種の事件」に当たるのか,何が特殊事情に当たるのか,その事情をどの程度重視すべきなのかを適切に検討することは,容易なことではありません。
裁判員の仕事は,やはり楽なものではないと思います。

そんな法律もあったのか

2014.07.24 [ 神村 岡 ]

今日,少年数名が決闘罪で書類送検されたというニュースが流れていました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140724-00000037-mai-soci

決闘罪と聞いて,刑法にそんな罪があったかなと思いましたが,調べてみると,刑法ではなく「決闘罪に関する件」(通称)という法律に定められていました。

我々法律家はいろいろな法律を勉強して法律家になりましたが,使用頻度の低い法律は,全く読んだことも聞いたこともないということが多いです。

この決闘罪が定められた法律は,正にその使用頻度が低い法律に当たりますので,どこかで小耳に挟んだことはあったかもしれませんが,積極的に勉強したり覚えようとしたりしたことはありませんでした。少なくとも,法学部で使った教科書には載っていなかったと思います。

このように,法律家といえども知らない法律が無数にありますので,日々の仕事の中で,これまで接したことのない法律を読むこともあります。

しかし,法律の仕組みや解釈の方法は,どのような法律でも概ね同じです。そのため,法律家は,新しい法律に接するときでも,全くゼロからということではなく,これまでの経験を活かすことができるのです。また,新たなケースに直面した場合などには,このような法律があるかもしれないという勘も働かせることができます。

ですから,法律家が知らない法律が数多くあるからといって,それで直ちに問題が生じるわけではないのです。

その点はご安心下さい。

死にはしない。

2014.07.23 [ 小西 政広 ]

http://mainichi.jp/select/news/20140723k0000m040115000c.html


期限切れの肉を使ってた話。

従業員が,「期限切れを食べても死にはしない」と発言していたようですね。


ほんとに言ったかどうかはさておいて。


死にはしないって言われると,議論が終わってしまうから嫌ですね。

死にはしないならなんでも許されるのかと反論したくなってしまう。殺人以外は罰するに値しないのか,と。

もちろん程度を意識した話でしょうが,「死」を考慮要素にすると言うことは,そういうことじゃないかなと思います。


ともあれ,食品については,数字ではなく自分の舌で判断したいと常々思っています。

北大で高齢者虐待に関する講義をしてきました。

2014.07.22 [ 齋藤 健太郎 ]

先週,北海道大学の法学部の2年生向けの講義の講師をしてきました。
前にもロースクール生向けには何度か講義をしたことはありますが,法学部生向けの講義は初めてでした。

テーマは,高齢者・障害者に関する問題ということでしたので,「高齢者虐待における弁護士の役割」というテーマにしました。

高齢者虐待防止法(略称です。正式には例の如くもっと長いです)という法律がどのような法律であり,虐待を受けている高齢者を救うためにどのような制度を用意しているのか,そして,虐待をしてしまう側をどのように支援していくのかということを中心にお話しました。

弁護士というと裁判のイメージが強いですが,実際には,裁判以外にも相談を受けたりアドバイスをするという仕事が結構あります。
高齢者虐待においては,私の所属している高齢者・障がい者支援委員会経由で,区役所からの相談を受けたり,つながりのある地域包括支援センターからの相談を受けることがあります。また,役所においてケース会議というものが開かれますが,弁護士がその会議に参加して,法的な見地からのアドバイスをするということが行われています。

先週は,その講義の翌日に,地域包括支援センターの方々との勉強会もさせて頂きました。
これまた大変勉強になりました。

簡単ではありませんが,これからも専門的知識を得て経験を積み,少しでも虐待の解消に役立ちたいと思っています。

DNA鑑定の功罪(2)

2014.07.22 [ 齋藤 健太郎 ]

前に「DNA鑑定の功罪」というテーマで記事を書きました。

そのときは,DNA鑑定のせいで今までわからなかった血縁関係が明らかになってしまうことの問題点について触れましたが,今回もその話をしたいと思います。

先日,最高裁判例がありました。DNA鑑定によって血のつながりのないことが判明した「父親」であっても,法律上は父親であり,例外は許さないというものです。
「嫡出推定」という規定がある以上(前のブログ参照),それを優先するというものです。

さて,変なことになってしまいました。
この四角四面のいかにも「法律」という感じの判決によって,世の中には,自他共に血のつながりの全くないことが判明している「父親」が存在することになりました。一方で,本当の父親はどうやっても法律上の父親になれないということになります(例外はありますが)。

たしかに,民法は,本当の父親じゃない場合があることを想定していました。でも,それは,本当の父親かどうかなんて調べようがないということが当然の前提になっていたのではないでしょうか。本当の父親がほぼ100%わかってしまうことは民法の想定していたものではないはずです。
父親というのは養子を除いて血縁関係にあるものを指しているのではなかったのでしょうか?

そもそも,繰り返し言われる「法的安定性」というのはいったい何でしょうか?
父親じゃないことがわかってしまった時点で,親にとっても子供にとっても,法律上父親かどうかはもはやどうでもいいことになってしまうのではないでしょうか?
法的安定性は,すでにDNA鑑定の存在によって害されてしまっているのです。
疑いを持たないようにするか,DNA鑑定の実施に制限をかけることができない限り,もはや歯止めはききません。
私には守るべきものがあるようには思えません。

私は,法は真実に謙虚であるべきではないかと思います。
新たな法律を作ることで解決すべきだというのも一つの考えだと思いますが,判明している真実との乖離がある場合に真実に即した解決を行わないことは法の自殺行為ではないかと思います。

生活保護と外国人

2014.07.22 [ 神村 岡 ]

今月18日に,外国人の生活保護受給権を否定する最高裁判決が出ました。

これは,外国人の憲法上の生存権(国家から生存を保障される権利)を否定するものです。

現実には,行政の通達によって,日本に居住する外国人は日本人と同様に生活保護を受給できることになっていますが,あくまで行政の判断で保護しているにとどまり,行政の方針が変わって外国人には生活保護を支給しないという判断をしても憲法には違反しないということになります。

憲法の文言上,生存権を保障されるのは日本国民であって,外国人に生活保護受給権が保障されないのは当然と思われるかもしれませんが,それほど単純な話ではありません。

現に,今回の最高裁判決の前に第2審として審理した福岡高等裁判所は,生活保護の受給権は外国人にも保障される旨の判断をしており,文言のみから答えが明確に出るわけではないのです。

今回の判決によって,少なくとも憲法上は外国人に生活保護を支給しないという判断も許容されることとなりましたが,実際に,日本に居住している外国人に対して,外国人だからという理由だけで生活保護の受給を拒否するのはやってはいけないことだと思います。

生活保護については不正受給がクローズアップされていることもあり,生活保護受給者に対する世間の風当たりは強いようですが,生活保護を受給している人の多くは,受給しなければ本当に生きていくことができないのです。

そして,同じような問題を日本に居住する外国人が経験することはあり得るのであって,そのときに,日本人ではないからどうなっても知らないという対応をするというのは人道上許されないと思います。

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