トップページ > 弁護士BLOG > 2015年2月

弁護士BLOG

エンディングノート

2015.02.16 [ 齋藤 健太郎 ]

「終活」とか,「エンディングノート」なんてのが流行ってから結構な時間が経ちますね。

でも,エンディングノートって,おかしいと思いませんか。
終わっているノート,終わっていくノートとでも訳すのでしょうか。
Google翻訳で翻訳してみたところ
「ノートを終了」
もはや意味不明ですね。

もっと前向きな名前がいいですね。
探してみたら実はありました。
「ネバーエンディングノート」
終わらないんです。決して終わることなどないのです。
自分のネバーエンディングストーリーを書き連ねるのです。

まあ,そんな話はどうでもよいのですが,注意点があります。
このようなノートとは別に遺言を書くことを忘れてはならないということです。
いくら自分の意思を明確にノートに示しても遺言にはなりません。
たとえば,「私の財産は,全てAさんにあげます」と自分の字で書いていても,法的には無意味です。
遺言書として効力を発生させるためには,日付,文章,名前を全て自分で書いて,印鑑を押さねばなりません。

思いを伝えるというのはとても大切なことですが,中途半端に争いを残すようなことをしては本末転倒ですね。

ウソ?記憶違い?

2015.02.15 [ 齋藤 健太郎 ]

ブライアン・ウィリアムズさんという,アメリカの有名なジャーナリストがいます。
私も良く知りませんが,NBCというテレビ局のニュースキャスター(アメリカでは,アンカーなんていいますね)で,ジャーナリストとして評価の高かった人のようです。
その人が,これまでイラク戦争で,ジャーナリストとして軍に同行した際に乗っていたヘリコプターが落ちたと言っていたのに,実際には落ちていなかったという問題が発覚したとのこと。落ちたのは,自分が乗る前に飛び立っていたヘリコプターだったようです。
それに対して,この方は,「記憶違いだった」と釈明したようですが,当然誰もなるほどとは思ってくれません。このような衝撃的なイベントについて,記憶違いなんて普通はないでしょう。

たしかに人間の記憶はとても怪しいものだというのは弁護士をしていると常日頃感じることです。
故意ではなくとも,記憶が書き換えられることは常に起きていると言って良いと思います。
人によって差はあるとは思いますが,都合の良いように自分の記憶を変えてしまうとか,イメージに引きずられてしまうということはよくあります。

では,彼はなぜこんなことを繰り返し言ってしまったのでしょうか・・・。
実は一番事実が歪められるのは,そこにわかりやすいストーリーがある場合です。そのストーリーに合うように記憶も作られていき,事実は組み立てられる。
このキャスターの場合には,「戦場で危険も顧みずに真実を追いかけたジャーナリスト」というとても大切なストーリーがあったのでしょう。そしてそのストーリーが彼そのものとなり,彼の人生を支えてきた。テレビもそれを必要とし,視聴者もそれを期待した。彼は「記憶違いだった」というほかなかったのでしょう。
真実を追いかけるはずのジャーナリストが自ら体験した事実を歪めてしまうという何とも残念な話です。

そして父になる

2015.02.14 [ 神村 岡 ]

福山雅治主演の映画です。

先日テレビで放送していたのを録画して見ました。


あらすじを言うと,
産院でのあかちゃんの取り違えが6年後に発覚し,その後相手の家族とのやりとりを経て,最終的には子どもを交換して,血のつながりのある親が子どもを育てていくことにするというものです。

福山が演じる父親は,仕事が多忙でなかなか子どもと一緒に過ごす時間が持てない父親で,取り違えを機に育ててきた子に対してドライな面も見せていたのですが,いざ交換した後になって,ようやく6年間を親子として過ごした絆を再確認することになります。

親子の絆を考えさせられる良い映画だったと思います。
久しぶりに映画を見て感動しました。


ところで,映画の中では,取り違えられてしまった2組の夫婦(子どもも,両親が代理人となって原告になっているかもしれません)が,産院に対して損害賠償請求の訴訟を起こしています。

取り違えは明らかに産院のミスですし,それによって2組の夫婦と子は実の子,親と一緒に過ごす機会を奪われるという精神的な苦痛も受けていますから,賠償請求自体は問題なく認められるでしょう。

問題はその金額です。

過去に同じような事例があれば,それを参考にして金額を算定することもできますが,赤ちゃんの取り違えの場合はどうでしょうか。

いずれにしても,明確な答えはありませんから,いかに訴訟の中で具体的に精神的苦痛を表現していくかによって結論は左右されるのです。

久しぶりに3日間断食しています。

2015.02.11 [ 小西 政広 ]

丸1年はやってなかったような。

忘・新年会が続いていまして,トレーニングの効果もおなか周りに出づらくなってきました。

胃腸の調子もなんだか良くないような気もしていたので・・・

今週は夜に予定も無いので,思い切ってやってしまいました。

最近腸炎で入院した友人が,1週間食事をとらなかったら胃腸の調子が良くなった,といっていたのを大きなきっかけにして。

昨日夜から少しずつ食べ始めて,今日も豆腐とか納豆とかみかんを食べてました。

過去に2度3日断食を行ったんですが,いずれも断食明けすぐにアルコールを摂取したため,結構な腹痛になっていました。

今回はその反省で,回復食なるものに注意しています。

ゆっくり慣らす,と。

断食中はいいんですが,食べるようになってからもまだ我慢する,というのは,境界線が曖昧でなかなかつらいものがあります。

となりの外国人

2015.02.09 [ 齋藤 健太郎 ]

福岡出張の帰りの飛行機でした。

離陸直前に,キャビンアテンダントさん(以下,CAという。)が,私の座席の並びの窓際の若い女性に,
「足下の荷物を座席の下に入れて頂けますか」
と言いました。たまに言われるやつですね。私は言われるのが嫌なので必ず入れます。
しかし,女性はよくわからず,前の座席についているアミの荷物を出そうとしたり・・・。
CAがなんどか説明しても足下の荷物を入れられず,私の隣の連れと思われる年配の男性も何も言いませんでした。
そこで,CAは突然英語で話し始めました。
「Could you please...」
CAが英語で話し始めてすぐに,女性はおそらく,自分から気がついて足下の荷物を入れました。
そうか,外国の方だったのか。それでわからなかったのか。
最近は,アジア系の方々が日本に沢山いますし,特に雪祭りシーズンならなおさらです。

その後,恒例のドリンクサービスがあり,私はスープを頼みました。
そして,隣りの男性は何を頼むのかなと思っていたら
「コーヒーをお願いします」
と完全に日本人の発音で答えたではありませんか。
うーん。日本人だったのか・・・。そう考えるとCAは勝手に日本人ではないと判断して英語で話しかけたことになります。

でも,隣りで見ていると,二人は何も会話はしません。
たまに女性が指で外を示して,男性が写真を撮るということはありますが,会話は全くありません。

考えられるのは,
1 女性は外国人,男性は日本人。一緒に旅行?
2 女性も男性も日本人だが,女性は障害などにより会話が困難。
3 女性も男性もアジア人だが,男性は日本語が上手。
というところでしょうか。
3は直感的にない気がします。
1と2は判別つきません。

またどうでもいいことにエネルギー使ってしまいました。

北九州成年後見センター「みると」の視察に行ってきました。

2015.02.09 [ 齋藤 健太郎 ]

私が所属する札幌遺言・相続問題研究会という団体のメンバー(といっても二人)で,「みると」という団体の視察に行ってきました。

皆さんも成年後見制度は聞いたことがあると思います。
成年後見制度は,代わりに財産管理などをする人を,家庭裁判所に選んでもらうという制度ですが,後見人が一人では対応しきれない場合などもあります。
そこで,「法人」つまり会社みたいなもの(「みると」は一般社団法人というものです)を後見人として選んでもらうことが考えられます。
そうすれば,法人に所属するみんなでチームになって後見人の仕事をすることができます。
特に,「社会福祉士」や「精神保健福祉士」という資格を持つ専門職の方などと弁護士が連係して,知恵を出し合うことによって,また,業務を分担することによって,より良い後見業務が可能となります。

「みると」はかなり歴史のある一般社団法人で,社会福祉協議会という組織と専門職が共同で運営しています。
このような法人は札幌にはまだありません。
弁護士も福祉職の方々も法人後見の必要性は感じているのですが,なかなか法人を作るという話にはなりません。
法人を作ることはとてもエネルギーのいることですし,重い責任も生じます。
特に人を雇用して場所を借りて運営するめにはお金が必要なので,市からの補助金も含め,その手当を考えなければなりません。
そこで,まずは,視察をしてどのように設立され,運営されているのかを見てこなければと思いました。
お話によると,北九州は人口が100万人くらいですが,高齢化率がとても高いようです。
そのために問題意識も早くから醸成されていたのかもしれませんね。

長時間お話を伺ったうえに,フグ料理までご馳走になってしまいました・・・。
さて,札幌で何ができるか考えてみます。
file:///Users/kentaro/Documents/IMG_3396.JPG

ロングドライブ

2015.02.07 [ 神村 岡 ]

明日,セミナーの講師を担当するため地方出張に行きます。

車で片道約3時間のロングドライブです。
日帰りですので,往復6時間です。

幸い天気が良いようですので,快適なドライブになるでしょう。
少し長いですが。

ロングドライブといえば,私の過去最長の日帰りロングドライブは,紋別の裁判所まで期限ギリギリの書類を届けに行ったときです。

片道5時間ですから,さすがにこのときは,復路を半分走った頃からかなりの疲労に襲われました。

ロングドライブの最中に何をするかですが,音楽を聴いたり,ラジオを聴いたり,英語のリスニングをしたり,歌ったり,考え事をしたりという具合でしょうか。

普段,何もせずにゆっくり考え事をする機会はそう多くありません。
そういう意味では貴重な時間といえるかもしれません。

遺言のすすめ

2015.02.04 [ 小西 政広 ]

相続税の基礎控除額が引き下げられ,相続というものに関心を持たれた方も増えたかと思います。

相続税に拘わらず,遺言を準備しなければ,子ども達の深刻な争いに発展する「争続」となってしまうかも知れないという心配もあるでしょう。

遺言を作ると言っても,却って争いの種になる遺言や,書いてみたモノの何の意味もない,という遺言もあります。

遺言で,ただ,子どものうち誰か一人に全額を渡す,という遺言を作ってしまうと,他の相続人からは,遺言でも奪うことが出来ない「遺留分」という権利を主張され,結局争いになってしまいます。

平等に分ける,という遺言を作っても,生きている間に大きなお金を子どもの誰か一人に渡した,という事実があると,そのお金も相続財産として計算すべきだ,とする「特別受益」を主張されて,結局争いになってしまいます。

仲良くわけるように,という遺言を作っても,法的には何の意味もありません。心情的には別ですが。

パソコンで遺言を作ってプリントアウトして,名前だけ手書きで書いた,という遺言は,そもそも無効です。

遺言はそれぞれのケースに応じて考慮することが異なります。有効で有用な遺言を作るためにも,遺言作成時には弁護士に相談することをお勧めします。


古稀の祝

2015.02.02 [ 齋藤 健太郎 ]

先日,父親が数えで70歳になるということで,古稀のお祝いをしました。

古稀の由来は,「人生七十古来稀なり」ということで,人間が70歳まで生きることは稀だという意味のようです。
昔は,筋骨隆々だった父も今となっては,膝の悪いおじいちゃんになってしまいました。
私も徐々に・・・というかすでにおじさんになっているので当たり前といえば当たり前ですね。

現在の日本人の平均余命は70どころではないのは皆さんもご存じだと思います。
そう考えると,本当に高齢化社会が進んでいるんだなと実感しますね。

ところで,交通事故や医療事故で,何歳まで働くことができたのかという問題を議論することがあります。
日本の損害賠償の実務では,67歳までというのが基本となっていますが(または平均余命までの期間の2分の1の長い方),この根拠は0歳のときの平均余命と言われているようです。定年で考えるなら,昔はもっと早かったはずでので,死ぬまで働くということを前提にしているのでしょう。
確かに昔の平均余命をみると,昭和30年で男性63.6歳,昭和40年で男性67.74歳,昭和50年で男性74.78歳となっています。平成25年ではなんと男性80歳!
そう考えると,67歳という基準も絶対のものではなく,平均余命に合わせて労働可能な期間も延ばしても良いのではないかと思いますが,不思議とそういう議論は聞いたことがありません。平均余命までの期間の2分の1に限定する理由もよくわかりません。亡くなるまで元気に働くというのもおかしいことではないはずです。

父の古稀を機に,より深く研究してみたいと思います。

弁護士の横領

2015.02.02 [ 齋藤 健太郎 ]

最近,弁護士の横領事件などがよくニュースで流れるようになりました。
とても恥ずかしい話です。

私も相続事件や後見事件などを比較的多く扱っており,大きなお金を管理する仕事をしています。
お金を預かり,管理することは,弁護士にとっては日常的な業務です。
こういうニュースが増えると,お金を預けている人や親族に,私も心配されてしまうのではないかと不安になります・・・。
さん!大丈夫です!私は1円たりとも手を付けていません!
かえって嘘くさい・・・。
後にニュースでこのブログが引用されないことを祈ります。

さて,果たしてなぜこのようなことになってしまうのでしょうか。
横領なんかしても,補填できなければ後でバレることは確実ですし,その場合には弁護士として生きていけなくなります。
高飛びでもするなら別かもしれませんが,通常は横領することのリスクやデメリットの方が高いはずです。

一つの理由として経済的な困窮というのはあるでしょう。
弁護士とはいっても波のある商売ですから,苦しいときに手を出してしまうというのはあるかもしれません。
しかし,人の金です。死んでも手を付けないという覚悟でやらねばなりません。
お金を一時的に借りるということもできるはずです。

同じような理由ではありますが,病気というのもあると思います。
一時的に収入が無くなってしまう状況で,人件費や家賃などの固定費は必ずかかっていきます。
特にうつ病などになると思考がまとまらなくなり,冷静に考えられないこともあるでしょう。
後で取り返そうという思いから手を付けてしまうのかもしれません。
弁護士にも所得補償保険というものがあり,私も加入しています。
病気になって入院しても一定のお金が払われます。転ばぬ先の杖ということで準備はしておかねばなりません。

実はあるのではないかというのが,認知症です。
知らないうちに認知症が進行しており,もはやお金の区別を十分につけられないということもあるかもしれません。

あとは愛人がいて貢ぐとか・・・。

まあ,愛人も含め,今のところいずれの問題もありませんのでご安心ください。

<  | 1 | 2 | 

ページ上部へ