2010.10.02 [ 齋藤 健太郎 ]

先日、高等裁判所で刑事事件の判決がありました。

私は、控訴審から関与していますが、一審は裁判員裁判で有罪となった事件で、一部無罪を争っていました。
高裁判決は、客観的証拠である防犯ビデオについての鑑定の証拠や、我々が行った再現実験についての報告書を全て却下したうえで、防犯ビデオからはさほど何もわからないという論理で、有罪としました。

しかし、一人の人間が、有罪か一部無罪かという極めて重大な問題が扱われているにもかかわらず、客観的な証拠を精査して吟味するということが行われないまま、有罪とされることが許されて良いのでしょうか。
強い憤りを感じざるを得ません。

上告して争います。最高裁がその問題を理解してくれるように全力を尽くします。

日本の刑事裁判は、「疑わしきは被告人の利益に」の原則というのが、完全に忘れ去られており、怪しければ有罪という恐ろしいシステムになっているということを刑事弁護に携わる弁護士の多くが感じています。

人は、いつ、被告人になるかわかりません。何もやっていなくとも嫌疑がかけられます。
そのときに、自分を十分に守れるでしょうか。私にはその自信がありません。