2014.01.14 [ 齋藤 健太郎 ]

そういう触れ込みで現在上映中の映画「ゼウスの法廷」ですが,裁判官が自ら志願して,重過失致死罪の被告人となった元婚約者を裁くというわけのわからない映画なようです。

元婚約者だという時点で,裁判官としては担当すべきではないですし,自ら志願するというシステムがあるというのも聞いたことがありません。
大抵は,機械的に配点されており,裁判官が自分で事件を選ぶということは考えられません。

裁判から裁判官が外される場合を「除斥」(じょせき)といい,親族や元親族の場合には除斥されるのですが,「元婚約者」は親族ではないので対象にはなりません。この点を考えて,「元婚約者」という設定にしたのかもしれません。

しかし,裁判官は,不公平な裁判をするおそれがある場合には,弁護人や検察官が申立をすれば,「忌避」(きひ)という手続によって,担当から外れてしまいます。
私が弁護人なら,間違いなく忌避の申立をするでしょうし,誰が弁護人でもそうするでしょう。あえてそのような裁判を受ける意味はありません。
なお,自分から裁判をしないということを「回避」といい,忌避されるような場合は,回避という手続により自分から外れるべきとされています。その意味でもおかしいですね。

いずれにせよ,なんだかおかしな映画が出来てしまったという感じです。
まさに「前代未聞」ですね。