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齋藤 健太郎弁護士ブログ

遺失物法って知っていますか?

2014.03.31 [ 齋藤 健太郎 ]

落とし物は誰のものでしょうか?
当然,落とした人のものですよね。拾った人のものではありません。

そして,基本的には,誰かのものをそのまま自分のものにした場合には,占有離脱物横領という犯罪になったり,壊したりしてしまえば,器物損壊という犯罪にもなる可能性があります。

しかし,人間は忘れ物をする動物です。電車の傘の忘れ物なんて非常に大量ですよね。私も子供の頃より忘れ物ばっかりで,財布を何度もなくしたことがある人間です。いまでも高い傘だけは絶対買いません。

そんな忘れ物社会ですから,忘れ物が人の所有物ということを貫いてしまうと面倒な事態となります。大量の忘れ物が捨てることもできず,そのままどうして良いかわからない状態になってしまいます。

そこで昔からある法律が「遺失物法」という法律です。
名前は知らなくても,「落とし物は警察に届ける」なんてことは聞いたことがあるでしょう。
そのようなことは全てこの法律で定められているのです。
この遺失物法は,実は,明治32年からある古い法律でしたが,時代に合わなくなり,平成18年に改正されています(平成19年施行)。
子供の頃に,落ちている物を見つけて「いーものみつけた!」なんて思いましたが,拾った物は自分のものではないと知って少しがっかりしたのを思い出します。

以下,滅多にみない,さほど知らなくてもいいこの法律を少しみてみましょうか・・・。

(1)落とし物を拾った場合には,路上で拾った場合には警察に届けることが必要ですが,施設内の場合には,施設の占有者に届けなくてはなりません。
(2)警察の保管期間は3ヶ月間です。落とし主が3ヶ月現れなかった場合には,拾った人の物になりますが,2ヶ月以内に受け取りにいかなくてはなりません。但し,携帯電話などは個人情報の問題があるので拾った人のものにはなりません。
(3)なんとインターネットで3ヶ月間,落とし物が公表されています。
(4)公共交通機関など特定の占有者は,落とし物を自ら保管することができますし,傘などは一定期間経過後に売却することもできたりします。

いつも「所有権」というものを守る仕事をしている身としては,落とした物が,全然関係ない拾った人の物になったり,売却できたりするというのは,とても不思議なことのように思います。

さて,復習の問題です。パチンコ店で,隣の人が落としたパチンコ玉を拾った場合には,どうすれば良いでしょうか?
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隣の人に返してあげて下さい・・・。

家族の一体感とは

2014.03.30 [ 齋藤 健太郎 ]

先日、夫婦別姓の選択権がないことが,女性に姓を変えることを強要するもので憲法違反だとして,慰謝料を請求する裁判の判決がありました。
第1審の判決は,国が法律を変えないことは違法ではないとして,慰謝料請求を認めませんでしたが,その控訴審の判決です。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140328-OYT1T00507.htm?from=tw

控訴審の判決では夫婦同姓は家族の一体感を確保する目的であり正当性があるとしたうえで現時点では別姓を名乗る権利は認められていないとして請求を退けたとのことです。

法律を変えないことが違法になるためには,単に法律が憲法違反かどうかというだけではなく,明らかに憲法違反であるレベルまで達していなければなりません。その意味では,この戦い方をする以上,ハードルはとても厳しいものであり,簡単には勝てません。結論としては,それなりの理由もあるので,明らかに憲法に反する規定ではないということになるのでしょう。ニュースでは,その付近の解説が十分なされていないように思われます。

ところで,夫婦が同じ姓にならなければいけない理由ってなんなのでしょうか。
これは当然のことのようにみえてそうではありません。法律上の夫婦が異なる姓を名乗るということは他の国では認められているので,同じように夫婦別姓を取ることは難しいことではないはずです。

本件の原告は事実婚の夫婦ということのようです。
事実婚の場合には,当然に姓が違いますが,夫婦や家族の実態は,姓が同じ夫婦と何も変わらないはずです。
判決では,一体感の確保が目的とされたようですが,姓が異なるとしても家族としての一体感はあるはずです。家族の一体感を高めるのは「おんなじ名前だねー」ということではなく、共に生活し共に語らい苦難を分かち合うことでしかないてしょう。

私自身が,結婚する女性の姓に変えなければならないと言われた場合どう思うかを考えてみました。
まず一番先に考えたのは,両親のことです。
親は私のことを跡取り息子と思っているのかもしれない(継ぐようなものは何もありませんが),それを裏切ってしまうのではないだろうか。お墓はどうなるのだろう・・・姓が違っても入れるようだが,「齋藤家」の墓なのに姓が違うのもなんだかおかしい気もする・・・。

そのようなことを考えると,やはり姓を変えられない事情のある女性も沢山いるはずですし,互いに姓を変えるのが難しいという理由だけで婚姻ができないというのも辛いことだと思います。

まずは,女性が男性側の姓に変えるのが当然だという考えから変えていかないといけないのかもしれませんね。

医療事故と真相究明の難しさ

2014.03.23 [ 齋藤 健太郎 ]

あなたの家族が突然,予想もしない理由で病院で亡くなったとします。
原因はよくわかりませんが,医師からは死ぬ可能性があるなんてことは言われていませんでした。

そこで,医師に説明を求めます。
どうして死んでしまったのですか?
医師からは,「予想外のことが起きました」ということに加えて,その理由についての説明がなされるでしょう。
理由は様々でしょうが,「原因はわかりません」などと言われることもあれば,「実は我々のミスです」などと言われることもあるでしょう。

では,医師からの説明で納得ができるでしょうか。とても信頼できる先生に十分な説明を受ければ納得することもあるでしょう。しかし,あまりに予想外の死に対して簡単に納得ができないこともあります。

そこで医師からは解剖を進められることもあります。場合によっては,事件の可能性があるということで,警察が関与し,「司法解剖」というものが行われることもあります。司法解剖の場合には全身について解剖が行われますが,病理解剖の場合には関係がないとされる部分は行われません。
そもそも,大切な家族の身体を切り刻まれるのは大変辛いことです。そのような理由で解剖を断念される家族も多く,その結果,解剖がなされないままの事案もあります。

解剖をすることでかなりの事実は明らかになります。しかし,仮に解剖をしたとしても,解剖は医学的な観点を中心として死因を探るものですので,それだけでは何が起きたのかということを全て明らかにすることはできません。

そこで大切なのが医療記録などから「事実」を立体的に組み立てていくことになります。
当然,医療記録が真実を記載しているものとは限りません。場合によっては,医療機関による改ざんがなされていることもあるでしょうし,誤った記載もあることでしょう。
しかし,その作業を積み重ねていくことでしか真実には近づけません。
そして,医療記録のみではなく,証人である医師・看護師からの証言を得ることも大切なことです。

ここまでの過程で,原因究明にはいくつもの壁があるということにお気づきでしょうか。
1 医師からの説明が十分ではない場合がある。
2 病理解剖だけでは十分ではない場合がある。
3 解剖が行われない場合がある。
4 解剖だけでは事実が明らかにならない場合がある。
5 医療記録が必ずしも正しいとは限らない。
6 証人からの証言を得られないと正確な判断ができない。

現在,医療事故の原因についての第三者機関の設置が進められているようです。
しかし,医療事件を経験してきた立場からは,本当に第三者機関が公平で納得のいく結論を出せるのか疑問があります。
裁判がマイナスであるというイメージを強く持っている方も多いのかもしれませんが,事実を確認していく作業というのは第三者的な機関が調査を行えば簡単にできるというものではありません。裁判手続にも事実を確定する作業として一定の価値を見い出すべきではないでしょうか。
時間がかかるという大きな問題はありますが,私が今まで担当してきた事件については,訴訟を提起したことを後悔している方はいないと思います。

そもそも原因を明らかにするという作業は,責任の所在を明らかにするということでもあります。
そこをぼやかして,なんとなく遺族を納得させるというような制度にならないように強く望みます。

人生の値段を決めるもの

2014.03.23 [ 齋藤 健太郎 ]

かなりニュースでも話題になったので知っている方もいるかもしれませんが,昨年の11月に,とても興味深い判決がありました。

 

60年前に病院で取り違えられた赤ちゃんが,相当な期間経った後にDNA鑑定によって真実を知り,病院相手に損害賠償請求をしたという事件で,裁判所は,病院に3800万円の損害賠償を命じました。

 

果たして,なぜ3800万円だったのか,「生まれる家庭が違う」ということがどのように慰謝料を生じさせるのか・・・ということが気になっていたのですが,ようやく最近,判決文を読む事ができました。

3000万円が本人の慰謝料,200万円がすでに亡くなった両親の慰謝料の相続をした分ということのようです。

 

この事件のポイントは,以下の点にあります。

1 本当は裕福な家庭に産まれたはずだったが,原告が育てられた家庭は生活保護を受給しており,経済的理由から,原告は進学を断念して中卒で働き,収入も低かった。

2 実の弟3人と自分と取り違えられた男性も皆大学に進学していました。

 

ここで問題となるのは,もっと稼ぐことができたのに稼げなかったということを,経済的な損失として請求できるかどうかです。

 

現実の問題としては,教育にはお金がかかります。

大学に行くための費用も当然必要ですが,その間働かなくても良い環境にいなくてはなりません。また,それ以外にも子供の頃からの教育費用も必要となるでしょう。

そういう観点からは,「もっとお金を稼ぐことができた可能性が高い」ということが認められる余地はあったといえるでしょう。東大生の半数以上は年収950万円以上の家庭という統計もあるようです。

一方で,もし取り違えがなかったら,どんな人生を送ったかは誰にもわかりません。もしかしたら,それでも中卒だったかもしれないし,進学しても遊び人になってテニスサークルでテニス三昧だったかもしれない。取り違えがなければ,「高収入を得られた」可能性が高かったとまで言い切れるでしょうか?

 

この点について判決はこのように述べて,請求を認めませんでした。

「家庭環境だけで,中卒又は高卒で終わるのか,大学への進学及び卒業が可能になるかが必然的に決まってしまうわけではなく,本人の能力,意欲,関心の所在等によって,大学進学の機会が与えられながらあえて大学進学という進路を選ばず,若しくは入試の失敗により進学を断念し,又は大学への進学を果たしたものの卒業に至らずに終わるといった例も決して少なくない。しかも,原告X1が18歳であった昭和46年当時の大学進学率は昨今のように高いものではなく,現在の感覚以上に大学への進学は容易なことではなかったと考えられ,また,本件取り違えから大学進学時まで最短で18年,卒業まで最短で22年という長期間(しかも人の人生において最も多感な時期)があり,出生後間もなくの時点をもって,その間に生じ得る状況の変化を見通すことは困難である。そうすると,本件取り違えがなかったとしても,原告X1が大学卒業の学歴を得ることができたかどうかは,必ずしも明らかでない」

 

18〜22歳までが人生において最も多感な時期であるという判決理由はなかなか面白いものがありますが,要するにグレていたかもしれないということでしょう。

 

そのように記載しつつ,判決は以下のようにも述べています。

「もっとも、本人の意欲さえあれば大学での高等教育を受けることが十分可能な家庭環境が与えられるはずであったのに、経済的な理由から中学卒業と同時に町工場に働きに出ることを余儀なくされ、およそ大学進学など望めないような家庭環境に身を置かざるを得なかったことが本件取り違えによって生じた重大な不利益である」

 

高等教育を受ける「チャンス」を得られなかったという意味では慰謝料にとどまるのは適切な判断だと思います。しかし,生まれや育ちによって人生の幸福度に差がないはずだという考えを突き詰めれば,その点については慰謝料を認めないという結論もあったかもしれません(本当の親と過ごせなかったという点は別でしょうが)。しかし現実は違いますし,彼の無念さを無視することはできなかったのでしょう。

苦肉の策

2014.03.22 [ 齋藤 健太郎 ]

弁護士業務は常にそれなりの業務量があります。
忙しい自慢じゃないのですがなかなか人に任せられないため自分で時間をかけなくてはならないことが多いです。
しかも文章を書く仕事については落ち着いて集中する時間がどうしても必要になります。日中は電話がかかってきたりすぐにやらなきゃならない仕事が舞い込むこともあるのでどうしても文章を書くのは夜になってしまいます。それ以外には休日を使うしかありません。
そうなると・・・必然的に平日に家に帰るのが遅くなります。
また夜はどうしても頭が疲れていて効率も良くありません。

そこで先週から早起きして朝に仕事をするようにしています。
だいたい四時半から五時まで仕事をするといった感じです。
とても集中できますしやはり効率も良い感じがします。
そして子供が寝る前に会えるというのはやっぱり幸せですよね。

果たしていつまで続くのかわかりませんが続けてみます!


開かれた司法,窓のない法廷

2014.03.22 [ 齋藤 健太郎 ]

元エリート裁判官の書いた「絶望の裁判所」という本が我々の業界では話題となっています。
私は全く読んでいないので書評をするつもりはありませんが,官僚的な裁判官制度に対する恨み節と批判ということのようです。
裁判官のシステムには大きな問題があると考えていますし,法曹一元(弁護士が裁判官になったり検察官になったりする。逆もあり)には大賛成です。昔読んだ「裁判官はなぜ誤るか」という本も同趣旨の本で,問題意識は昔から法曹関係者には共有されていると考えています。問題はそうするためにどうしたらいいかということなんだと思います。議論を喚起するのは大切なことですが。

そもそも,この本を読む気になれないのは「絶望の」という表現使い方がスキじゃないからです(笑)。
文学的な表現にしたつもりなのかもしれませんがあんまりセンスを感じませんね。
「瀕死の裁判所」とか「とかならまだいいのかもしれませんが(笑),絶望は状態を示すものではなく,誰かの主観的な感想ですから,あえて使うなら「裁判所」とか実際にあるものすごい堅苦しい場所じゃなくて(そもそも絶望的な場所だし),何かなかったのかな。

そんな本当にどうでもいいことを真剣に考えながらふと思ったのは,そういえば裁判所の法廷って窓がないなあということです。
札幌地裁の法廷しか明確に思い出せませんが,少なくとも私の記憶する限り法廷には窓がありません。

なぜ窓がないのかを私なりに分析してみました。
*被告人が逃亡しにくくしている?・・・そもそも7階とか8階にあるから逃亡無理か。
*外部からの狙撃を防いでいる?証人の狙撃とか・・・やろうと思えば違うところでできるか。
*プライバシーの問題で,外部から見えないようにしている・・・これはありそうだな。でも曇りガラスにすれば・・・。
*裁判所の構造として,実は裁判官席の裏に通路を作る必要があり,結果としてその通路側が建物の端となるため?
もう少し説明すると,裁判官は傍聴人や当事者とは違うところから出入りしていてその姿は法廷以外では基本的に見られない構造になっています。それを維持するために,通路を建物の端(窓側)に作っているのではないかという推論。
*暗い感じが裁判官または裁判所の威厳を高めている?・・・明るくても威厳は保てるのではないか。
*窓から入る音によって証人尋問の際の証言の聴き取りや録音が難しくなる・・・これが一番考えられますね。でも防音ガラスで開けなければいいのでは。

まあ結論としてはようわかりません。
少なくともそのおかげで夏は窓から風が入らないためにとても暑いときがあります。
汗だくで証人尋問ということもありました。
そして何より陽の光が入らないので重苦しい雰囲気となります。そうじゃなくても重苦しい話ばかりなので,次に裁判所を建て替えるときには検討して欲しいですね。

なお,なぜか札幌地裁の法廷は,シーンとしていると天井から「プチ,プチプチッ」って音がなります。
なぜなのか誰か教えて下さい。

刑事事件の専門用語

2014.03.18 [ 齋藤 健太郎 ]

刑事事件で接見に行くと,よく専門用語(隠語)を用いている被疑者,被告人がいます。たいていは,覚せい剤などで何度も逮捕されているとか,いわゆる893の関係の方が多いです。
ここで,「それなに?」なんて聞いたりすると,よくわかっていない弁護人だと思って舐められるので注意が必要です。

わかりやすいところでは,「ガサ」なんてありますよね。
捜索差押えのことです。ガサ入れなんていいますね。
パクられる(逮捕)とか,チャカ(拳銃)とか,マッポ(警察官)なんてのは知っている人も多いかもしれません。「マエがある」といわれれば前科者ですね。

たとえば,「弁当持ち」なんていわれてわかりますか?
これは執行猶予中のことをいいます。執行猶予中の場合に犯罪を犯すと,猶予されていた分も服役しなくてはならないので大変です。それを食べたらなくなってしまう弁当にたとえたとかたとえないとか・・・。
「チンコロ」はなんでしょう。
これはよく語源がわかりませんが,要するにチクリです。自分の刑を軽くするために,覚せい剤の売人の名前を出すなんてことはよくあります。
「おれ,弁当しょってるからおしまいですわ。あの野郎チンコロしやがって」なんて言われて,「え?弁当販売業をなさっているのですか?」なんて言ったら,「にーちゃんトーシロやな」と言われてもうおしまいです。

では,ポンプとか言われるものはなんでしょう?
これは,覚せい剤を使用するときに使う注射器のことですね。
たしかにポンプといわれればポンプ。
ガンジャ・・・これは大麻ですね。

全く知らなくてもいいお話でした。

父親を知る権利

2014.03.18 [ 齋藤 健太郎 ]

弁護士をしていると,よく「人権」や「権利」という言葉を使いますし,そういう言葉に敏感になっていきますが,果たして「人権」というのは何か,「権利」というのは何かといわれると,実はすごく難しい問題です。

法律相談を受けていると,「先生,これは人権侵害じゃないですか!?」などということを言われる方もおられますが,大抵は,人権侵害という表現が適切ではない場合も多いです。「酷い扱いを受けている」ということが直ちに人権侵害というわけではありません。一つの感情表現としては十分に理解出来るのですが。

では,「権利」というのは一体何なのでしょうか。

最近,精子ドナーによって生まれた試験管ベビーが,父親に会うために情報の開示を病院に対して求めるという裁判が起こされたというニュースを読みました。
通常は,ドナーになる場合には,自分が父親であるということは開示しないという約束のもとに提供をしているはずです。しかし,子供の側に立って見れば,自分の血の繋がった父親が誰なのかという情報がすぐそこにあるのに,それを知ることができないといわれると,納得できないという気持ちになるでしょう。父親を知らなくてもいいと思ったのは母親であって子供ではありません。それを「父親に知る権利」というのであれば,尊重されるべきものだということもいえるかもしれません。

ドイツでは,父親を知る権利が裁判で認められて,父親に会うことを実現したということがあったようです。そこでは,やはり父親を知ることはとても重要なことだと判断されたようです。
なんだかとても心の温まる話に思えますが,父親が会いたいと思っていない場合がほとんどでしょうし,その結果家庭を崩壊しかねない問題も生じさせることになるでしょう。

一方で,アメリカでは,精子ドナーの父親に対して,養育費の支払請求がなされるという事件もあったようです。父親を知る権利を行使した結果,養育費を支払ってもらう権利というところまで波及するとこれは大変な問題です。日本でも,認知請求という形で同じ問題が起きる可能性は十分にあるでしょう。

ちなみに,アメリカでは,一人の精子ドナーから150人以上の子供が産まれている場合もあるようですので,そうなるとこれは大変なことになります。父親を知る権利を行使した結果,養育費の支払請求が多数発生したり,近親相姦が発覚するという事態も考えられます・・・。

150人の隠し子騒動なんて私には耐えられません。
「権利」というものの難しさを感じる話でした。

医療事件における調査について

2014.03.17 [ 齋藤 健太郎 ]

医療事件においては,一般の法律相談とは違って,調査がとても大きなウエイトを占めています。
一般の法律相談の場合には,相談を受けた時点で,知識と経験から一定の答えを出すことができますが,医療事件の場合には,そうはいきません。

とはいえ,色々な医療事件をやっていると,詳しい知識を得ていない段階で,ある程度の見通しを付けることはできるようになりますが,それでも調査をしてみると全く結論が異なってくるということもあります。

では,実際にどのように調査をしているのでしょうか。
私の場合は大抵は以下のような方法で調査をしています。

1 まずは,問題となる疾患について,インターネットで大まかな情報を入れます。今の時代,インターネットを活用しない手はありません。わかりやすく論じているページや画像が豊富なページなども検索によって出てきます。

2 薬剤については,「添付文書」というものが,ネット上で見られるのでそれを確認します。

3 「今日の診療プレミアム Web版」というのに登録しているので,そこで基本的な知識を得ます。
これは有料なのですが,私にとっては欠かせないツールになっています。ウェブ版なので,毎年更新されますので,常に新しい知見を得ることができます。もっとも,生理学などの基本は不足していますし,専門性が高い場合や特に外科系の場合には情報がほとんどありませんので,疾患についての一般的な知識を得るためのものと考えています。

4 文献のうち日本の医学雑誌に掲載されているものについては,「医中誌」という有料の検索サイトがあります。そこから文献を探していくこともあります。概要などはそのサイト内で見られるのですが,中身を読みたいときは購入するしかないので,それなりに費用がかかってしまうのが難点です。
 アメリカの文献を探す場合には,PubMedというものがあるので,それで検索することになります。これは完全に無料なので助かります。日本にもCinii(サイニィ)というサイトがあり,日本の雑誌をかなり検索できるのですが,やはり医中誌にはかないません。

5 それ以外にも,ハリソン内科学という書籍,解剖学の本,生理学の本などを引っ張り出しながら調査をしていきます。北大医学部の図書館や札医大の図書館も重宝します。

6 何より大切なのは,医療記録を仮説を立てながら繰り返し読み込むことでしょう。カルテが読めないほどの場合には,コムルという組織や医療事故情報センターというところに医療翻訳の依頼をします。
 カルテを読んでいるうちに,仮説を裏付ける事実が出てくることがあります。宝探しのような感覚でそれなりに興奮します。できるだけ視野を広くもって,最初から特定せずにあらゆる可能性を考えていくことが大切だと思います。たとえば診断した医者の考えを追いかけるだけでは真実は明らかになりません。見落としの事案などであれば,その医師は見落としているのですから,思考を辿っても誤った方向に行くだけです。客観的な検査結果などを軸に事実を組み立てていくという作業が不可欠となります。

7 それらの調査を踏まえて,専門家の医師に相談しに行きます。場合によっては,一般的な相談をよく知っている医師に最初に相談することもあります。そこで大体のあたりをつけて,さらに専門家の先生に話を聞くこともあります。医師に話を聞く前にある程度の調査をしていないと,疑問を持つことすらできず,十分な調査はできません。
 医師は,元から知り合いの医師に聞くこともありますが,専門性の高い場合には,医療事故情報センターというところから紹介を受けたり,文献の著者に直接連絡をして会いにいくこともあります。また,他の医師から紹介をして頂くということもあります。本当に,そのような協力医の先生なしには私の仕事は全く成りたちません。

以上,長くなりましたが,こんな感じで調査をしています。

誤認逮捕〜明日は我が身〜

2014.03.11 [ 齋藤 健太郎 ]

 最近,主婦が誤認逮捕されたというニュースがありました。

 その件は,パチンコ店で女性客が、他の客の財布を置き引きしたとして逮捕された事件でした。
 その後,財布が店内から発見されたため,見つかった場所を撮影した別の防犯カメラの映像を調べたところ、別人が財布を捨てる姿が映っていたというのです。女性は,8日間勾留された後にようやく釈放されたのでした。


 警察が女性を逮捕したのは,防犯カメラの映像に,財布を盗られた男性が座っていた席に女性が座り、財布があった方向に手を伸ばすような様子が映っていたという理由からでした。しかし,この事件では,女性は一貫して容疑を否認していたのですから,別の防犯カメラも当然に調べるべきだったでしょう。警察も,「別のカメラの映像は確認しておらず、捜査が尽くされていなかった」として,女性に対して謝罪せざるを得ませんでした。

 

 さて,8日間の身柄拘束がなされたことに対して,どのような補償がなされるのでしょうか。

 まず,刑事補償法という法律がありますが,この法律では,最終的に無罪判決まで取らなければ補償を受けることができません。おかしな話ですが,憲法でも,「無罪の判決を受けたときは」とされているため,刑事裁判になる前に釈放された場合は含まれないのです。
 そこで,起訴前に釈放された場合については,法律ではないのですが「刑事補償規程」というものがあり,それに基づいて補償がなされることがあります。しかし,全ての場合にされるわけではなく,たとえば単に証拠が足りないという理由などで釈放された場合は含まれていませんし,検察官が判断することになっています。今回の事件のようにはっきりと犯人ではないという証拠があった事案はいいのですが,そうではない場合には補償は受けられない可能性が高いでしょう。


 それにしてもこの事件、もしも、財布が店内で見つからず、別の防犯カメラの映像チェックがなされなかったらどうなっていたのでしょうか。

 世界的には異常な数字ですが、日本では、起訴されると99.9%が有罪になります。この事件も、私のような優秀な刑事弁護人が就任しなければ,有罪になっていた可能性も否定できません。本当に恐ろしい話ですが,自分は関係ないと思ってはいけません!この事件の女性がただパチンコをしていただけであるように,誰にでも犯人にされてしまう可能性はあるのです・・・。

 

 実は誤認逮捕の問題として,ニュースやメディアに実名報道されてしまうという点もあります。一旦、実名報道がされてしまうと、今はインターネット上にも記事や記事を引用したものが残ってしまいますので,仮に、あとで誤認逮捕とわかっても、取り返しがつかないことになります。また,地方の人口の少ない地域で暮らしているような場合には,一度の報道によってその人の生活は破壊されてしまいます。

 警察も検察も,今回の事件のような,はっきりとした証拠がなければ,謝罪をすることもありませんし,「犯人ではありませんでした」なんて報道がされることもありません。一度報道された以上,犯人ではないかという疑いの目で見られ続けるリスクを負うことになります。

 そういう意味では,逮捕段階での報道についてはもっと慎重な姿勢が必要なのではないでしょうか。逆に,受け手の方も,誤認逮捕というものが十分にあり得るということを常に頭に入れてニュースを見なければなりませんね。

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