2014.03.23 [ 齋藤 健太郎 ]

かなりニュースでも話題になったので知っている方もいるかもしれませんが,昨年の11月に,とても興味深い判決がありました。

 

60年前に病院で取り違えられた赤ちゃんが,相当な期間経った後にDNA鑑定によって真実を知り,病院相手に損害賠償請求をしたという事件で,裁判所は,病院に3800万円の損害賠償を命じました。

 

果たして,なぜ3800万円だったのか,「生まれる家庭が違う」ということがどのように慰謝料を生じさせるのか・・・ということが気になっていたのですが,ようやく最近,判決文を読む事ができました。

3000万円が本人の慰謝料,200万円がすでに亡くなった両親の慰謝料の相続をした分ということのようです。

 

この事件のポイントは,以下の点にあります。

1 本当は裕福な家庭に産まれたはずだったが,原告が育てられた家庭は生活保護を受給しており,経済的理由から,原告は進学を断念して中卒で働き,収入も低かった。

2 実の弟3人と自分と取り違えられた男性も皆大学に進学していました。

 

ここで問題となるのは,もっと稼ぐことができたのに稼げなかったということを,経済的な損失として請求できるかどうかです。

 

現実の問題としては,教育にはお金がかかります。

大学に行くための費用も当然必要ですが,その間働かなくても良い環境にいなくてはなりません。また,それ以外にも子供の頃からの教育費用も必要となるでしょう。

そういう観点からは,「もっとお金を稼ぐことができた可能性が高い」ということが認められる余地はあったといえるでしょう。東大生の半数以上は年収950万円以上の家庭という統計もあるようです。

一方で,もし取り違えがなかったら,どんな人生を送ったかは誰にもわかりません。もしかしたら,それでも中卒だったかもしれないし,進学しても遊び人になってテニスサークルでテニス三昧だったかもしれない。取り違えがなければ,「高収入を得られた」可能性が高かったとまで言い切れるでしょうか?

 

この点について判決はこのように述べて,請求を認めませんでした。

「家庭環境だけで,中卒又は高卒で終わるのか,大学への進学及び卒業が可能になるかが必然的に決まってしまうわけではなく,本人の能力,意欲,関心の所在等によって,大学進学の機会が与えられながらあえて大学進学という進路を選ばず,若しくは入試の失敗により進学を断念し,又は大学への進学を果たしたものの卒業に至らずに終わるといった例も決して少なくない。しかも,原告X1が18歳であった昭和46年当時の大学進学率は昨今のように高いものではなく,現在の感覚以上に大学への進学は容易なことではなかったと考えられ,また,本件取り違えから大学進学時まで最短で18年,卒業まで最短で22年という長期間(しかも人の人生において最も多感な時期)があり,出生後間もなくの時点をもって,その間に生じ得る状況の変化を見通すことは困難である。そうすると,本件取り違えがなかったとしても,原告X1が大学卒業の学歴を得ることができたかどうかは,必ずしも明らかでない」

 

18〜22歳までが人生において最も多感な時期であるという判決理由はなかなか面白いものがありますが,要するにグレていたかもしれないということでしょう。

 

そのように記載しつつ,判決は以下のようにも述べています。

「もっとも、本人の意欲さえあれば大学での高等教育を受けることが十分可能な家庭環境が与えられるはずであったのに、経済的な理由から中学卒業と同時に町工場に働きに出ることを余儀なくされ、およそ大学進学など望めないような家庭環境に身を置かざるを得なかったことが本件取り違えによって生じた重大な不利益である」

 

高等教育を受ける「チャンス」を得られなかったという意味では慰謝料にとどまるのは適切な判断だと思います。しかし,生まれや育ちによって人生の幸福度に差がないはずだという考えを突き詰めれば,その点については慰謝料を認めないという結論もあったかもしれません(本当の親と過ごせなかったという点は別でしょうが)。しかし現実は違いますし,彼の無念さを無視することはできなかったのでしょう。