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齋藤 健太郎弁護士ブログ

医療事件で和解をしました。

2014.05.27 [ 齋藤 健太郎 ]

先日,医療事件で和解をしました。
依頼を受けてから2年くらいかかりましたので,期間としては通常の解決だったと思います。
この事件では,特殊な手技が問題となっていたのですが,いつもお世話になっている先生から,その手技の専門家を紹介してもらい,詳しくお話を聞くことができました。このような協力医の存在があって,初めて相手と対等に戦うことができます。

今日もとある病院の先生のところにお話を伺いに行ってきました。
お疲れのところ,2時間以上も色々と教えて頂きました。やはり本で調べても書いていないことや,書いてあってもイメージがつかめないことというのは沢山あるものです。

さて,和解に至ったこの事件では,最初,本人も遺族も,誰ひとりとしてその手技によって命が奪われるとは思っていませんでした。ところが,予期せぬ事態が生じ,患者さんの命が奪われてしまいました。
おそらく医師らも,このような結果が生じるとは全く思っていなかったのではないかと思います。

そもそも医療に関わるということ自体が,何かしらのリスクを負っているということがいえます。
薬の投与を受ければ,副作用の問題が生じ得ますし,手術をすれば間違って傷つけられるということもありえます。しかし,一部の医者は,それらをできるだけ隠して説明しようとします。

車社会と同じように,医療社会では,医療に関わる以上,予期せぬ事故に巻き込まれる可能性があるのです。
では,その事故に巻き込まれることを防ぐためには,どうしたらいいでしょうか?
色々調査して信頼できる医師を探すというのは大事なことですが,そのような情報はなかなか外には出てきません。そういう意味では,良い医者に巡り会い,事故から逃れるというのは運任せの要素が強いのではないでしょうか。

自分の命を実は全く信頼できない人間に委ねているかもしれないというのも恐ろしい話です。

ブログが思うように書けないときに思うこと(1)

2014.05.20 [ 齋藤 健太郎 ]

ブログなんてなくなってしまえばいいと思うこともある。

しがない地方の弁護士が集団的自衛権なんてアホなこというなとか,原発とかコントロール不能なんだから早いとこやめちまえとか言ったところで,どれだけの意味があるのか。
「一人でも共感してくれる人間がいればいいんだ」なんて気持ちで書いてみても,実は誰もまともに読んでないかもしれない。

たった一人の言葉は大きな流れを変える力があるのか?
いつの時代も流れには逆らえないのではないか。
このまま戦争に突き進むのか。
原発はまた事故を起こすのか。
徴兵と原発事故から自分の子供を守るためには移住しかないのか。
果たして移住することで守れるのか。

風邪引いてしまって仕事も思うようにできなかったが,待ってる人達がたくさんいる。
目の前のことをまず必死に頑張らないとならない。
弱音吐いても前には進めない。

明日起きたらアホな総理も原発もブログもなくなっているかもしれない。仕事も小人達が片付けているかもしれない。
少なくとも寝ている間は忘れられる。
というわけでまず寝ることにする。

○○○○という名の時限バクダン

2014.05.19 [ 齋藤 健太郎 ]

なにやら物騒な話に聞こえますが,これは札幌市北区で問題となっているあのガスボンベ事件とは全く関係ありません。

この○○○○には何が入るでしょうか?
ここに入るのは,実は「事業承継」です。

事業承継というのは,その名のとおり,事業をどのように引き継いでいくかという話なのですが,実はこれが恐ろしいものです。
なぜ時限爆弾なのかというと,そのまま放っておくとオーナー株主が亡くなったときに突然問題が勃発してしまうからです。

たとえば・・・
*株式の価値が高いが,オーナー株主には預金が多くない・・・多額な相続税が払えない。
*息子に事業を継がせようと思っていたのに,他の子供達にも株式が渡ってしまい,安定経営ができない。
などというのが典型例でしょう。

高い確率で爆発するのに,バクダンのチクタク音が誰にも聞こえていないことがあるというおそろしいものです。

しかし,バクダン処理は早めに時間をかけて行えばそんなに難しくないことが多いといえます(相当困難な案件もありますが)。
大切なのは,税理士・会計士と弁護士が必ずチームになって,十分に対策を練ることです。
事業承継をスムーズにするための法律もいくつもありますし,遺言による手当も有効なことがあります。株式については,生前に贈与するか,遺言により渡すかを早期に検討しておく必要があるでしょう。株式の価値を下げる努力も必要です。

早い時期に手を打たないでいると,知らないうちに,自分で火薬を火薬と知らないでどんどん詰め込んでいるなんてこともありますのでご注意を。


医療訴訟と共同受任

2014.05.13 [ 齋藤 健太郎 ]

 数ヶ月前になりますが,裁判上の和解により一件の医療事故を解決しました。

 この事件は,知り合いの弁護士から一緒にやろうと言われて担当したものです。

 私が担当した後,再度事案を全て検討し直し,複数の医師に面談をして,新たな問題点を設定し争ったという事案でした。内科と整形外科がオーバーラップする事案だったため,整形外科医と内科医の双方に意見を聞きました。その結果,より良い解決に繋がったのではないかと自負しています。


 このように,新たな観点から再度整理し,深く考えていくという作業はとても興味深く,やり甲斐があります。医師が実は気がついているけれども隠していることがあったり,または担当した医師がレベルの低さからそもそも全く気がついていない事もあり,それを見通さずに検討することがとても重要です。


 話は少し変わりますが,私の場合には,医療事件を他の弁護士と一緒にやることがとても多いです。札幌医療事故問題研究会という私が所属する団体経由で依頼を受けた事件については,主担当と副担当という複数で受任していますし,私が医療事件を多く扱っているということを知っている先生から誘われることもあります。医療事件をほとんど扱わない弁護士の場合には,医師のネットワークがなかったり,医療訴訟自体になれていないこともありますし,そもそも医療事件の性質上,一人でやるのではなく複数で担当し,協議しながら進める方が良い場合もあるということだと思います。

鼻血・表現の自由・科学

2014.05.13 [ 齋藤 健太郎 ]

 皆さんもご存じのように,漫画『美味しんぼ』において,福島にいると鼻血が頻繁に出るという描写をしたことが問題になっています。
 いろいろな考え方があるので,どの考えがおかしいというつもりはありませんが,なぜここまで一人の人間の作品を叩かなければならないのか疑問を感じています。

 私は,仮にそれが実は放射性物質の影響とは無関係だったとしても,自らの体験に基づいてそのような事象があると訴える人達がいて,作者がそれを漫画に表現することについては,これも一つの表現として許容されても良いと考えています。それを題材に議論をすることは素晴らしいことですが,大臣が不快感を示す意味がよくわかりません。個人的な不快感であれば言わずとも良いですし,国家として一作品に不快感を示すのであれば言論弾圧です。

 私は,最初この話を聞いたときに,作者は被爆のことについて無知なのではないか,何も知らずに書いたのではないかと考えました。でも,よく考えれば,本当に科学は被爆について全てを解き明かしているのでしょうか。低線量だから安全というのも長期間の実験がなされたわけでもないでしょうし,後から影響が出るかもしれません。科学的に正しいと思われていたことが長期間経った後に根拠のないものであったことが判明したりすることも十分にあるのです。多くの御用学者が原発は絶対に安全と言っていたことを忘れてはならないでしょう。実は鼻血にも根拠があるかもしれませんし,「そんなことはあり得ない」という人の方が私は信用できません。我々は,常に目の前にある事実に対して謙虚にならねばならないと思います。

 ついでに言えば「風評被害」という言葉ももう止めた方が良いと思います。放射線による影響というものは完全に解明されているわけではなく,果たして被害があるかないかがわからないから怖いのです。自分の子供達に何かあったらどうしようと思うから怖いのです。「風評」に過ぎないのかどうかなんて誰にもわかりません。

 問題は,原子力発電所というコントロール不能な危険物を設置したツケを福島の人達だけが背負っているということであり,それを何もなかったかのように元に戻すことはかえって問題を隠していくことになるのではないでしょうか。

 今日は,泊原発廃炉訴訟の期日があります。私は訴え提起のときから,弁護団の一人として活動をしてきました。電気のために,便利さのために,経済のために,あのような悲惨な事故を再び起こしても構わないという考えは私には理解できません。

死刑は残虐か?

2014.05.06 [ 齋藤 健太郎 ]

死刑制度については,先進国では,日本,アメリカ,韓国など一部の国を除き,すでに廃止されている国がほとんどです。国連の拷問禁止委員会というところでも,日本の死刑制度は問題とされています。

最近読んだアメリカのニュースで,オクラホマ州で薬剤注射による死刑に失敗し,死刑囚は意識が回復した後,心臓発作で40分後に死亡したというものがありました。
実は,今まで使用していた薬について,欧州の会社が死刑反対という立場から提供を拒んだだめ,新しい薬の組み合わせで死刑を行ったという事情があったようです。

日本では,絞首刑による死刑が行われています。正確には縊首刑(いしゅけい)といって,単に首を絞めるのではなく,高いところから落とす方法によります。この方法は一瞬で死亡するとされていますが,本当にそうなのかは誰にもわかりません。しかし,アメリカでこの方法がとられていないのは,あまりに残酷な方法だからではないでしょうか。私は,非人道的過ぎるという素直な感想を抱きます。

安倍政権が勝手に解釈を変更することで骨抜きにしようとしている憲法では,拷問及び残虐な刑罰は絶対に禁じられています。今の日本の死刑を素直に捉えればやはり残虐な刑罰にあたるのではないでしょうか。それこそそろそろ憲法解釈の変更を行って(笑),日本の死刑は残虐な刑罰に当たるので憲法違反であるとすべきです。

そもそも,人間の身体はなんであろうと必死に生きようとしています。
死刑は,それを無理矢理死に至らしめるのであり,身体は強く抵抗するはずです。
薬剤で麻痺させようとも命を奪うことはそのような生きようとする力を押さえつけることであり,残虐ではないということ自体があり得ないのではないでしょうか。
アメリカの事例は,単に死刑がうまくいかなかったのではなく,その本質が明るみに出ただけだと思います。

医療事故が増加?

2014.05.05 [ 齋藤 健太郎 ]

先日,以下のようなニュースを目にしました。

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日本医療機能評価機構によると、平成25年に医療機関から報告があった医療事故は前年比167件増の3049件で、年単位の集計を始めた17年以降で初めて3千件を超え、最多を更新した。

 全体のうち、医療法に基づき報告が義務付けられている大学病院や国立病院機構の病院などから2708件の事例が寄せられた。うち216件(8%)で患者が死亡し、障害が残る可能性が高いケースは263件(9・7%)だった。いずれも事故との因果関係は不明という。

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この事例は,あくまで医療機関が事故だと考えたうえで,日本医療機能評価機構というところに報告された事例です。平成25年の1年間で3049件ということになると,1日8.3件以上事故が起きているということになりますが,あくまで報告義務がある一部の病院から,報告された事例がほとんどのようですから,実際にはもっと多いということになるでしょう。

このニュースをみて,「医療事故が増えているから,医者が地方から撤退しているんだ」とか「産婦人科医が減っているんだ」というように反応する人もいるかもしれませんが,大きな誤りです。

これはあくまで病院が報告したものを意味しているので,紛争になっているか否かは問題にしていません。そもそも,地方からの撤退は,医局制度というものの崩壊によるところが大きく,産婦人科医の問題も訴訟リスクが生じやすいという本質的問題はあるもののそれが原因とは言い難いです。なぜなら統計上,医療裁判の数は明らかに減っているからです。

毎日多数の医療事故が生じていることは事実なのです。そして,その中には医師のミスによって生じたものもあるでしょうし,それによって死亡したり,後遺症を残した事例も多数あります。

問題は,患者さんが医療事故だと気がつくという第一の壁を乗り越えなければならないとういことです。医師の説明によって,何の問題もないと言われてそれを信じれば,事故は事故ではなくなってしまいます。専門家に言われるとそうなのかな・・・と思ってしまうものです。まず疑問を持ったら相談をすることが大切です。

次に,事故だと思っても問題にしなければ医療事故としては扱われません。医者の説明に納得した,誠意を感じたという理由なら良いのですが,中には「医療事故は勝てない」という一般論のみから諦める方も多数いるように感じます。その結果,解剖もせず,後から後悔をするということにもなります。

医療事故の勝訴率は確かに一般の事件よりは高くありません。

しかし,多くの医療事故は,裁判の前に解決するか,裁判中に和解によって終わっているのが現状であり,判決までいくことは少ないのです。判決まで行く場合だけを見れば勝てないと感じてしまうかもしれませんが,それは錯覚です。

医療事故が増加しているわけではありません。あくまでちゃんと報告される事例が増えたということだと思います。そして,次に大切なのは,その事件を他の病院にも周知したうえで,適切な賠償を受けるべき人が受けるということです。ただ報告される医療事故が増えても,次を防げなければ意味がありませんし,補償を抜きに考えることは許されません。

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