2015.07.21 [ 齋藤 健太郎 ]

安保法制については双方様々な意見があるようですし,政治的なことを書くためのブログではありませんが,私の考えは以下のとおりです。

 安保法制は,説明が不十分なのではなく,説明ができない,または曖昧模糊としているのである。
 集団的自衛権という,他国のために「自衛権」を行使するという,自己矛盾した内容であるため,そもそも説明が困難になり,まやかしとなるのは当たり前である。自衛権は集団的ではあり得ず,自国を守るための戦いかどうかが唯一の基準である。したがって,交戦権を広く認めたいのであれば,正面から憲法改正を議論するのが筋である。

 憲法改正をせずに,閣議決定や法律でこのようなことを推し進めていくのは,立憲主義国家,法治国家として不可能であり,東大の憲法学の石川教授の言葉を借りれば,安倍政権は民意を背景に事を進めたのではなく,「クーデター」を行ったということになる。これは極めて的確な表現であると思う。
 最も重大な問題は,そのような「手続」を無視して,全てを自分の好きなように進めてしまったことにある。この点についての重大な危惧感を感じるか否かによって,賛否は大きく分かれることになるだろう。私としては,まず,この手続無視の姿勢に対しては,いかなる理由であろうとも賛成することはできない。

 また,実際の必要性という観点からも,重大な疑義があると考えている。
 賛成派は,中国の脅威,韓国の脅威などを強調し,しまいには北朝鮮の脅威まで持ち出すものもいる。しかし,軍事力の強化が必要というのであればまだわかるが,アメリカ(こう言ってしまっていいだろう)の戦争に参加していくことが,どうして他国に攻め入られないことや,防衛力の強化に繋がるのか,全くもって不明である。他国からの干渉や侵略が起こりうることは否定しないし,現在も尖閣などにおいては重大な懸念があるのは事実であるが,それに対して毅然として態度を取ることと集団的自衛権の行使を容認していくこととは無関係であることを強調したい。

 アメリカは中国から攻め入られたときにどのように行動するだろうか。アメリカの利益のために日本を守るかもしれないが,それは日本がそれまでにアメリカを守るために命を犠牲にしてきたことのご褒美でもなんでもない。どこかの学者のおじさんが,「日本では報道されていないが,イラクでテロから日本のタンカーを守るためにアメリカ軍の兵が命を落とした。みんな助け合っているんだ」などと言っていたが,少し調べてみれば,しっかり報道されているし,単にイラクの石油ターミナルを爆破しようとするテロに対してアメリカ兵が守ろうとしただけで,そこに日本の関係するタンカーがいただけのようである。このような事実のすり替えや詭弁を多用するのは,これまで他国の保護のために自国民の命をかけるのが当然だとする国際的潮流も歴史的経緯もなく,全ては自国の利益のためだからである。そもそも「ご褒美」を求めて尻尾をふるのはポチの仕事なのに,なぜ日本を愛する方々がこれを受け入れられるのか全く理解できない。日本は,アメリカという国に,二度に亘って戦争終結のためには不要な原子爆弾を投下され,東京大空襲でも,沖縄でも大量の民間人が無差別に虐殺された。今度は,そのアメリカのために日本人が命を落とすべきというのだから,まさに「美しい国」というしかない。メリカの戦争は,これまでのベトナム戦争,イラク戦争から明らかなように,決して自衛のための戦争ではなく,それに関わることが日本を良い方向に導くとは全く思わない。
 国際政治,外交という観点から,威嚇としての軍事力,アメリカとの同盟関係も一つの交渉材料として,戦争を引き起こさない巧みな交渉を行うことが何より重要である。戦力に対して戦力で押さえつけようとすることは容易ではなく,際限のない軍拡と衝突によるリスクを高めることにしかならないのではないか。