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齋藤 健太郎弁護士ブログ

ヒーローの素質

2015.09.28 [ 齋藤 健太郎 ]

先月8月21日に,フランスの高速鉄道内でモロッコ人のテロリストがAK−47という自動小銃を乱射しようとしたところ,1人のフランス人,1人のイギリス人,3人のアメリカ人の英雄的行動によって大惨事に至らなかったという事件がありました。

この事件のすごいのは
1 フランス人の男性がトイレの中で男が自動小銃に銃弾を装填する音に気がついて,トイレから出てきた男をすぐに取り押さえようとしたこと
2 その後,アメリカ人,イギリス人は迷うことなく男を制圧しようとしたこと
です。

アメリカ人のうちの2人は,軍人だったというのもあり,考えることなく行動する訓練を受けていたというのはあるのでしょうが,他の人達は一般の人です。そのような人達が自動小銃を持って武装した人間に立ち向かうという気持ち胃になったというのがすごいことだと思います。

最近のアメリカのイェール大学の研究によると,英雄的行動に出る人達のほとんどは直感で行動しており,考えてから行動していないということがわかったそうです。
武装したテロリストに立ち向かっていくのか,それとも逃げたり隠れる選択をするのか・・・じっくり考えているうちにやられてしまうでしょう。また,考えても結論はなかなか出ません。次第に大きくなるのは恐怖です。
果たして,ヒーローと言われる人達がたまたまそのようなタイプの人間だったのか,それとも人間はそのような状況に直面すると本能的・直感的に行動するものなのか・・・。

たまに子どもが溺れているのを発見して助けようとした方が,助けることができずに自らも死亡するという痛ましい事件を耳にします。また,駅のホームに落ちた人を助けようとして一緒に死んでしまうようこともあります。

助けるかどうか悩む前に飛び込んで助けようとする・・・考えていてはできない英雄的行動を本能的に取ってしまうのが人間だとすれば人間もまだ捨てたものじゃないのかもしれません。

でも臆病者の私には無理かな。
私は別の方法で人を助けることにします。

初めての整形外科受診

2015.09.28 [ 齋藤 健太郎 ]

あまりに股関節の調子が悪いので,整形外科受診してきました。

実は私は大人になってからはまともに病院を受診したこと自体がほとんどありません。
風邪を引いて病院に行くということもありません。昔から腰はよく痛くなるのですが,整形外科を受診するほどでもなかったのです。

しかし,今回はあまりに痛みと違和感が続くので何かあるかもしれないと思って初受診。
一人で病院に行くことだけでも新鮮な経験です。
証拠保全では何度となく病院に行っていますが,一人で患者として受診するのは何とも不思議な気分です。

おおっ!これが問診票か!いつも医療事件や交通事故で見てるやつだな。
鉛筆で書くのか・・・。ボールペンじゃないんだな・・・。
レントゲンを受けてもいいかという質問・・・「はい」に○。

その後,名前を呼ばれて行ってみると,いきなり技師さんから「レントゲン撮りますね〜」と言われました。
整形外科ではレントゲンって受診する前に撮るものなのか?!
まあ問診票も書いているが,診察しないと検査右の必要性はわからないのではないか・・・。

などと思いつつ,レントゲンでは,若い女性の検査技師に,シャツを脱ぐだけでなく,ズボンも脱ぐように指示を受けて,とまどいながら,パンツのまま6枚くらい撮影されて被爆。

さて,ようやく先生の診察です。
「よし,そこに寝て!」
「ここ痛いか?そうか痛いか。まあみんな痛いよな!」
という謎の発言も飛び出しましたが,レントゲン所見から「椎間板ヘルニア」疑いということでMRI撮影をすることに。
私は前から腰は悪いので,一度しっかり検査するのはありだなとは思いましたが,股関節自体に問題があると嫌なので,おそるおそる,「あのぉ。痛いのは股関節なんですけど・・・」というと,
「そうか。じゃあ立って!痛いか?そうか。大腿四頭筋炎!筋肉が痛いってことだな!」
晴れて二つ病名がつけられました。

言われてみると,股関節は痛いけど,太ももも張るし,足の方がぴりぴりすることもあり,腰痛も併発しているようなのでたしかにヘルニアが悪化しており,その神経痛が股関節にも出ているのかもしれないとは思いました。
しかし,なんとなく股関節自体も痛いような気もしていますので少し不安ですね。

手で押した所見を大切にする医師の姿勢というのは,何とも言えない信頼感を生むものですね。
最近はCT,MRIを含む検査が発達していますが,腹痛の診断では触診の意義は決して低くないと言います。

次はMRIの予約をしてきました。
若干閉所恐怖症の私が30分も狭いところに入れられて発狂しないか心配です。

アイヌ民族の方の遺骨返還

2015.09.27 [ 齋藤 健太郎 ]

恥ずかしながら,私は全く知らなかったのですが,共同で法律相談を受けるために他の先生の事務所に行ったところ,気になるパンフレットが置いてありました。このパンフレットを見て北大の学者らがアイヌの方々の遺骨を墓から掘り返して研究材料にし,いまだ遺族らの返還に応じていないということを初めて知りました。

IMG_4104.jpg

1970年代までその行為は続いたようですが,明らかな犯罪行為であり,到底許されないことです。それが公然と行われていたことに憤りと驚きを禁じ得ません。
現在,遺族らが北大相手に訴訟提起をして返還を求めているとのことです。

中心となっている北大開示文書研究会というところのウェブサイトはこちら

いくら研究のためとはいえ,墓を掘り返して遺骨を研究材料にして,遺族に求められても返還しないというのはおかしな話です。私は個人的にはお墓や遺骨にはそこまで重きを置いておりませんが,遺族の方の気持ちを考えれば当然に返還すべきだと思います。

ちなみに遺骨の所有権というのは誰にあるのかというのは一つの問題ではあります。
所有権というもの自体を考えること自体が難しく,「祭祀承継者」といわれる仏壇とか墓とかを引き継ぐ人が引き継ぐという理解が一般的です。
本件でも厳密に考えて行くと様々な法律問題が出てくるとは思いますが,それを乗り越えて,謝罪と早期な返還をすべきだと思います。

「少年」というもの

2015.09.21 [ 齋藤 健太郎 ]

友達に「少年」の話をしていました。

とある昔の事件について,少年が売春をしてしまい,虞犯行為として問題となった・・・ということを話したのですが,その友達は,「へえ。男が男を相手にしていたのか・・・」という意味不明なことを言ってきました。

「?????」
最初は何がなんだかわかりませんでしたが,要するに「少年」というのが「男の子」という意味だと思ったのです。
ご存じのように,少年法というものがあり,そこでは男女にかかわらず,20歳未満の者を「少年」と定義しています。
そのために女の子であっても「少年」と呼ばれるということです。

日本語の感覚としてはおかしいのになぜこの呼び名にしようと思ったのでしょうか?
たとえば「若年」「未成年」などという呼び名もあったように思います。
全く調べていませんが,「少年」という言葉は元々,男の子を意味していなかったというのがあるかもしれません。
それが,次第に少女と少年に使い分けがされていったため・・・なのかもしれませんね。

ちなみにあのウィーン少年合唱団は男の子だけですね。

PIlawyer

2015.09.21 [ 齋藤 健太郎 ]

聞いたことない言葉だと思います。

アメリカでは,交通事故,医療事故,労災事故などの身体・生命に損害を受ける事件について専門的に扱う弁護士をPIlawyerといいます。PIは「personal injury」の略で,人的な損害のことを意味しています。

私は,医療事故や交通事故を多く扱っていますが,やはりこの分野は扱う弁護士によって大きく差が出ると感じています。損害額の算定という技術的なものだけではなく,どのような形で注意義務違反を構成していくのか,どの主張を中心に据えていくのかということは経験とセンスが問われます。
そこで間違えるといくら一生懸命やっても裁判官に訴えることができません。

また,医学的な調査・検討が必要なことは少なくありません。
交通事故の専門という弁護士が,医療分野についてよくわからなければ,後遺障害のある事案について十分に戦うことはできません。
画像診断専門医の助力を得ながら,整形外科医などの医師からもアドバイスを受けていかないと良い弁護はできないと思います。

最も優れたPIlawyerになることが私の目標です。

マラソン続報

2015.09.14 [ 齋藤 健太郎 ]

どうにか走りきったマラソンですが,その少し前くらいから,右脚の裏から股関節〜腰にかけて張りが続いていて,全く良くなりません。
良くなったら走ろうと思って,もう2週間以上経ちました。

やはり無理し過ぎたのかもしれません。
8月だけで240km走ったのは少しやり過ぎだったのでしょう。
元からあまり足腰は強くない方なので,とにかくもう少し休むことにします。

そんな状況ですが,追い打ちをかけるように来月4日の札幌マラソン(ハーフ)の書類も本日届きました。
そろそろ再開しないと間に合わないですが,まあ身体が第一ということで・・・。

やること多すぎ

2015.09.14 [ 齋藤 健太郎 ]

弁護士業務というのは意外とやることが多いものです。
私がやらなければならないことを羅列してみました。

1 新件の相談,継続している事件の相談,顧問会社からの相談
2 事件に関する調査 現地調査,文献調査,専門家(医師)への聴き取り,弁護士会照会など
3 内容証明,訴状の作成
4 準備書面,主張書面の作成
5 裁判への出席
6 証人尋問の準備
7 依頼者の方への報告
8 弁護士会の委員会活動(高齢者障害者支援委員会,こどもの権利委員会)への参加
9 所属している委員会(精神医療審査会,千歳市入札等監視委員会)への出席
10 札幌医療事故問題研究会の研修会の調整,リーダー会議への出席
11 その他,私的研究会(相続,後見など)への参加,幹事会への出席
12 電話対応
13 メールへの返答,メールの作成
14 事務所の経営に関する事項(会計,税務,労務,広告)
15 弁護士会関係の研修への参加
16 精神科病院,自宅への出張相談
17 交通事故紛争処理センターの業務,会議への参加
18 他の弁護士と共同受任している事件の協議,弁護団会議への参加
19 ブログを書く

もう少し頑張ってここを乗り越えれば楽になる・・・そう思っていましたが,山を越えてもまた山があるという感じです。
賽の河原の子供たちのように無限に仕事をし続けなければならないのです。
最近は時間が経つのが異常に早くて気がついたら死んでいるんだろうなといつも思います。

でも,いつもやるべきことがあるというのは幸せなことかもしれません。
仕事の質を落とさないようにだけ気をつけなければなりませんね。

人形劇と路面標示は全く無関係である

2015.09.13 [ 齋藤 健太郎 ]

今日はたまっている仕事や急ぎの仕事を片付けて、その合間に子供達を東京から来てるという人形劇に連れて行った。

人形劇に子供達は大喜びしていたが、意外と単純なズッコケネタで大笑いをしていたことが印象に残った。演者の側もそれをわかっていて繰り返し同じネタをやり、必ず子供達は笑う。いわゆる鉄板ネタというやつだったのであろう。今後子供達の笑いを取る手法としてたいそう参考になった。

子供を見ているとたまに思うことであるが彼らはフィクションを現実だと思っているわけではなく、あくまでフィクションだとわかっていて楽しんでいる。人形は人形だし、生きているわけではない。絵本だって実際に絵に過ぎないこと自体はわかっている。それでも柔軟な彼らの頭にはそのままリアルな話として入ってくるようだ。
それを言うのであれば自分もドラマや映画が好きだが現実に起きていることではないことはわかっているが,それなりに楽しんでいるので,ある意味一緒かもしれない。
昔,東京にいる祖母が元気だったころに,テレビを一緒に観ていると,「なんだか演技だと思うとつまんないのよねえ」というようなことを言っていたのが思い出される。年をとるとともにドラマを楽しむ力も衰えるのかもしれない・・・その一方で,祖母は,野球のホームランがVTRで流れると「また点が入った!}といって大興奮していた。ドラマを楽しむ力と現実を見る力は同時に衰えていたようである。

さて、今日かなりの時間を費やしたのが路面標示である。
道路に白線で描かれている規制などの標示であるが、交通事故の裁判の絡みで色々調べることになったがこれが意外に難しい。道路法があったり道路交通法があったり命令があったりして意外に複雑である。規制について直接警察や公安委員会から細かい指示があるのかと思ったら,必ずしもそうでもなく,市町村道はある程度の裁量をもって定めているような感じである。まあ,全てを規制するのは難しいので委任せざるを得ないのだろうが。しかも「道路標識」だと思っていたら,道路の白線は「路面標示」というらしく,用語も混乱する。

そんなことを調査しながらふと思ったのは,冬の北海道の場合には,路面標示が消えてしまうことも多いのだが,その場合でも規制を守らなかったものとして扱われるのかということである。北海道外の人のために少し解説すると,雪国では,積雪の影響によって冬の間に白線が消えてしまうことがあるので,また塗り直さなければならないのである。いつも通っているところであれば知っていて当然であるが,そうではない場合もあるのでその場合に規制があったことを当然の前提とするのはやや厳しい。
それでも「法の不知はこれを罰する」ということになるのだろうか。

そんなつまらないことを考えながらブログを書いていたらもう寝る時間なので,寝て明日の朝仕事をすることにしよう。

オーマイ

2015.09.07 [ 齋藤 健太郎 ]

と聞いて何を思い浮かべますか。

オーマイガッ!
とかでしょうか。

オーマイ・・・パスタ
を思い浮かべる人もいるかもしれません。

子供達が今日,オーマイパスタの歌みたいなのを2人で歌っていました。
私もオーマイパスタぐらいは聞いたことがあったのですが,子供達への洗能力の高さには驚きました。そのときに妻が,「「オーマイ」って会社のパスタだよ」というのです。
へえ,そんな会社あるのかと思って調べたところ,真っ赤な嘘で,日本製粉というところで作っているパスタやパスタソースなどのシリーズ名が「オーマイ」でした。
包装では,「オーマイ」が前面に打ち出されているので会社名と誤解するのもわからないこともありません。

まあ,何が言いたいのかというと,会社の名前ではなく,商標が強い力を持っていて,それだけで商品のブランドが確立されているということを示す良い事例だなと思ったのです。あまりいいたとえかどうかわかりませんが,ポストイットはすごく有名ですが,3Mはそんなに知られていないという感じでしょうか。
ブランドの力が強ければ,誰が作っているかなんてどうでも良くて(どうでも良いというよりはオーマイを作っている会社が作っているということで良い),商標の力で十分です。
商標法を勉強するときに,商標の品質保証機能とか出所表示機能なんてものを勉強しますが,それを思い出しました。

自然の効能

2015.09.06 [ 齋藤 健太郎 ]

私は虫とか両生類が好きで,子供の頃は,家の裏が山だったのもあり,ザリガニやサンショウウオを捕まえに行ったり,チョウチョやクワガタを捕りに行ったりしていました。
カエルやサンショウウオの卵は春になると必ず取りにいっていました。
クワガタのいる木を知っていたので,夜に真っ暗闇で木を蹴り飛ばしたら巨大なミヤマクワガタが落ちてきたのが忘れられない思い出。あれは大きかった。
なぜかヘビの子供を捕まえてしばらく飼っていたところ,父から「おい,それはマムシだぞ。頭が三角だろ」と言われて驚いて逃がしたことも思い出されます。
また,当時はカマキリが大好きで,カマキリの卵を見つけてきて大喜びで,虫かごに入れて孵化をするのを待っていたのですが,ある日,突然大量に孵化して,虫かごの隙間から大量に逃げ出していました。
沖縄に行ったときに巨大なカエルが道路にたくさんいたので捕まえて札幌まで持ち帰ろうとしたところ,途中で寄った羽田空港で大量に脱走して大変な思いをしました。

とまあ,挙げていけばキリがないのですが,自然とのふれあいの多い人生を歩んできた気がします。というよりはこうやってみると捕獲の歴史ですね。
でも,最近では,毎日,事務所の部屋と相談室でほとんどの時間を過ごしていて,自然の中で過ごすということはほとんどありません。
子供達には自然とのふれあいを持ち続けて欲しいとおもって,今年は,一回だけキャンプに行きましたが・・・慣れないキャンプほど大変なものはないというのを実感しました。

さて,前置きが長くなりましたが,最近読んだ記事で,胆嚢摘出術の患者さんの治療経過について,窓から木が見える部屋と,壁しか見えない部屋で比較したところ,木が見える部屋の患者さんの方が平均して治りが早く,痛み止めも少量で済んだという記事を見ました。
人工物に囲まれる生活は,一見スマートでキレイなものですが,実はストレスのかかる生活なんですね。
走るときにも山の中を走るとそれだけでもなんだかいい気分になります。山登りや森林浴には脳科学的には合理的な理由があるということなのでしょう。
自然がなぜ癒やしになるのか。それはまだ解明されていないようですが,自然は何も求めてこないのが良いとの話もありました。たまには何も求めず,何も求められない生活をするのも大事なのかもしれません。

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