2016.06.04 [ 齋藤 健太郎 ]

齋藤健太郎のブログを楽しみにしてくれている皆様。ご無沙汰しております。
今月はブログ強化月間となりますので,おたのしみに。

さて,面白い最高裁判決がありました。
琉球王国の名家の末裔にあたる沖縄県の男性が,2003年7月に85歳で死亡する2ヶ月前に,遺言書を作成し,その際に署名のあとに普通の印ではなく,花押を記していたという事案です。

自筆証書遺言という,自分で書いた遺言の場合には,
1 全文・日付・署名を全て自筆で記載し,
2 印をしなければならない
ということになっています。
たまに,印字したものに押印している遺言書が出てくることがありますが,それは無効です。
また,日付がないだけで,遺言としては無効ですし,印鑑を押し忘れても無効です。

第1審,第2審では,花押は認め印よりも偽造しにくいという理由で,印にあたるとされたようです。
しかし,最高裁では,花押は印ではないということで,この遺言は無効とされました。

それにしても,2003年に亡くなったということなので,13年もの間,相続問題が解決しないままでいるということになります。兄弟がこの遺言のせいでずっと争い続けているというのは親にとって耐えがたいことでしょうね。

自筆証書遺言を無効にしてしまうことは,亡くなった人の意思がはっきりしているのに,ルールはルールだという理由でその意思を無視しても良いのかという大きな問題があります。
第1審,第2審の裁判官は,そのような観点から,どうにか「印」といえるのなら有効にしようという考えが働いたのだと思います。

でも,この「印」というのは,実はさほど偽造を防ぐという機能がありません。
皆さんは,実印じゃなければ駄目だろうと思うかもしれませんが,全くそんなことはありません。
たまに遺言の講演などで話すのですが,たとえばイモで,適当なもの(たぶん豚の絵でも大丈夫)を彫って,それを押せば「印」になると思われます。
インクや朱肉などで,何らかのものを押すことによって,その印影を紙に写し取るものということがいえれば印といっていいでしょう。
果たして,そのような「印」というのがどれほどの意味を持つのでしょうか?
最高裁判例においては,拇印を印として認めたものもあります。
拇印は,厳密には,新たに印影を彫り取ったものではないので,印といえるかは微妙ですが,やはり有効にすべきという判断が働いたのだと思われます。

しかし,花押の場合には,印というよりはやはりサインというべきですので,少しルールから外れる度合いが大きく,「印」というのはやはり無理があります。認め印どころか芋版でも印なのに,伝統ある花押は印ではないというのは何とも残念です。
本人の意思を無視しても,ルールはルールだということには,大きな違和感がありますが,やはり法律解釈というのはそういう限界があるのだということなのでしょうね。

琉球王国の末裔の遺産というのがどの程度のものかわかりませんが,まあ,取り分がゼロになるというわけではなく,法定相続分通りにもらえるので,問題性は少ないでしょう。
なお,生前に財産をもらうということを受け取る人が承諾していたのであれば,遺言が無効でも,「死因贈与」であるということで救済される余地がありますが,本件ではそれも難しかったのでしょうね。

皆さん,遺言は必ず公正証書遺言にしましょう。
そうしない場合でも,弁護士に相談しておきましょう。