2016.06.20 [ 齋藤 健太郎 ]

裁判では,証拠で全てが決まります。

とはいえ,証拠といっても,今,手元にあるものだけとは限りません。
中には,発見する証拠,生み出す証拠(偽造するということではありませんよ)というものもあります。
弁護士の善し悪しというのはそこで大きく変わってきます。

四六時中,事件でどうやったら勝てるかを考えていると、時折良いアイデアをひらめくことがあります。
逆に,それぐらい考え続けていないと駄目ということなのでしょう。

日本の裁判では,証人から話を直接聞けるのは,実際に証人尋問の期日を迎えてからです。
それまでは,弁護士が主に作成した「陳述書」なるものによって何を言うのかを推し量るほかありません。
ほとんどの場合は陳述書と同じことをいいますが,中には,陳述書とは全く違うことを話したり,陳述書にない重要なことをハ話す場合もあります(証人が悪いのか・・・弁護士が悪いのか・・・)。
また,裁判を起こす方の中には,被告が何というのか知りたいと考える方もいます。
しかし,その場合でも,訴訟の終盤の証人尋問期日を迎えないと,肉声を聴くことはできないのです。

文書の場合には,文書提出命令といって,証拠を出さない当事者や関係者に提出させる手続はあるのですが,証言についてはそのような手続がありません。

一方で,アメリカでは,ディスカバリーという制度があり,その中にディポジションという宣誓供述録取という手続があります。これは,証人予定者に対して長時間質問を行って,その供述を記録化するというものです。
アメリカのリーガルドラマや裁判ものの映画などを観たことがある人は,法律事務所に相手と当事者が集まって,質問をするシーンが記憶にあるのではないでしょうか。あれがディポジションという手続です。
私は,この手続が日本にもあれば,もっと早い段階で,見通しが立てられるし,変な証言も牽制できるのになあ,と思うことがあります。実際の裁判における証人尋問では,ディポジションと矛盾することを言った場合には厳しく追及されるからです。
しかも,長くかかる事件だと,実際に証人尋問になるまでにあまりに時間が経ちすぎてしまうという問題もあります。

日本の民事裁判は,ずーっと前から書面中心主義でやってきたということと,陪審ではないということから,あまり証人尋問で勝負を決めるという発想がないのかもしれませんね。