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齋藤 健太郎弁護士ブログ

ニュース

2017.01.31 [ 齋藤 健太郎 ]

ビンゴ大会で野球盤が当たりました。
息子が5歳になりました。
妻が●●歳になりました。
トランプさんが大統領になりました。
トランプさんが大統領令にサインしまくりました。
大統領令が一部効力が停止されました。
錦織がフェデラーに負けました。
フェデラーが全豪で優勝しました。
2kgぐらい痩せました。
父が71歳になりました。
うちの息子がインフルエンザになりました。

辛いニュースもあれば明るいニュースもありますね。
とにかくインフルエンザだけはうつりたくないです・・・。
でももしかしたらダイエットになるかもしれないな。

いじめとはなんぞや

2017.01.23 [ 齋藤 健太郎 ]

最近ダイエットが少しだけ成功した齋藤です。

年末の多数の忘年会と正月の危険を乗り越えて2kgぐらいは痩せたのではないかと思います。たぶん・・・。

 

さて,どこぞやの教育長が,同級生にお金を払わされたという被害の訴えに対し,お金をおごったのであって,いじめとは認定できないという発言をして問題になっています。

「関わったとされる子どもたちが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは疑問がある」と言ったようです。

教育長の発言のベースにあるのは,横浜市の設置した第三者委員会の報告書になります。

ここでは,「おごりおごられ行為」としていじめとは認定されなかったようです。

 

ところが,この第三者委員会においては,加害をしたとされる児童からの聴き取りを行っていないというのです。被害児童が,自らの被害を強く訴えているのに対して,それを否定するにもかかわらず,加害児童の話を聞かないというのは何ともバランスが悪い気がします。

 

そもそも「いじめ」というものがなんなのかというのはそう簡単ではありません。

被害を受ける側がどう思ったかという視点から捉えないとならないと思うのです。

というのも,集団によるいじめも含め,加害側は被害児童への攻撃との明確な認識を持っていないことも多く,また,様々な人間関係がベースにあるため,外見上は何もないように見えることもあるからです。

 

平成25年に初めていじめ防止のための法律,「いじめ防止対策推進法」というものが施行されました。

「いじめ」については,その法律の第2条で,

「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」

と定義されています。

 

いじめの定義についてはこれまでもかなり変化があったようです。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/06/17/1302904_001.pdf

最初は,学校が事実を確認したものに限定されていましたが,その限定が外されるようになり,また,事実の認定を表面的・形式的に行わないことが明示されるようになり,さらに「一方的に」「継続的に」「深刻な」という定義も削除されたという経過があるようです。

 

詳細に第三者委員会の報告書を読んだわけでもありませんし,認定にどうこういうつもりはありませんが,理由を述べる際には,このようないじめの定義の難しさに理解を示したうえで,被害児童の訴えを軽んじない姿勢で臨んで欲しいと思います。少なくとも,聴き取りもしていない加害児童がおごりだと思ったからいじめではないという説明は,大きな誤解を生むものではないでしょうか。

共謀罪がこわい

2017.01.10 [ 齋藤 健太郎 ]

共謀罪という危険な犯罪が何度も出ては廃案になってきましたが,いよいよ成立しそうな勢いです。

何も実行しなくても共謀するだけで犯罪になるというおそろしい犯罪ですが,テロ対策のためには不可欠であるし,組織的犯罪に限定するので大丈夫というのが今回の売りのようです。

「実際悪いこと企んだんだから仕方ないじゃん」
という声が聞こえて来そうですが,それは勘違いです。

こわいのは,人が思ったことや考えたことを犯罪とする場合には,かなり突っ込んだ捜査が必要になり,メールや電話などの監視が強化されるのが必然ということです。
そして,何かと言いがかりをつけて,犯罪に持ち込まれることも考えられます。この手の犯罪は,客観的な証拠によらないので,いわゆる別件逮捕としての利用価値は非常に高いと思われるのです。

もうすぐ元NSAの契約職員だったスノーデンという人の映画が上映されるようです。
スノーデンは,アメリカは全世界を監視しようとしていて,日本も例外ではなく,大変危険であるという警告を出しています。
仮にNSAの情報収集能力を日本が陰で利用するようなことがあれば,我々は丸裸にされてしまうのではないでしょうか。
現代では,スマホの中にはその人の人生がぎっしり詰まっています。それを全て見られてしまうとしたら・・・共謀罪の捜査のためということで正当化されてしまったら・・・。

果たして考えすぎでしょうか。

あけましておめでとうございます。

2017.01.02 [ 齋藤 健太郎 ]

といっても一体なにがめでたいのか。

年を越したところで,地球が太陽の周りをほぼ1周したというだけで,何一つハッピーにはなりません。
あえてめでたいことを探せば,「また生存したままで年を越せた」ということなんでしょう。
だからこそ,喪中の場合には,無事に1年を過ごせなかったのでめでたくないということになるのでしょうね。

あ,もう一つ意味不明な言葉がありますよね。
「良いお年を」
これは,年末に使われる言葉ですが,年明け直前まで良いお年を過ごして下さいということのようです。

12月31日から1月1日に変わることについての人間の思い入れの強さには毎年驚かされます。
そのために年末は忙しくなり,混雑のなか活動し,おせち料理を作り,年越しソバを準備し,年賀状を書き,神社に初詣に行く。

まあ,それを言い出すと誕生日もそうです。
「また生存したまま年を重ねることができた」
ということでしょうか。
でも,誕生日の場合には喪中とかありませんよね。
親族の生存を個人の生存を重ねるのであれば,誕生日も喪中の場合には控えるべきではないでしょうか。
逆に,個人の生存を重視するのであれば,年明けにおいても喪中を考慮する必要はなく,むしろ病気や大怪我をした場合などには,めでたくないのではないでしょうか。

さらに突き詰めると,毎日の朝の挨拶は「生存できておめでとうございます」になります。
せめて毎月1日は「おめでとうございます」にしても良いでしょう。
月命日があるなら,新月の祝があってもいいでしょう。

全ては1年を区切るということに意味を見いだす人の習性なのです。
ぐだぐだと書いてみましたが,最初からそんなことはわかっています。

とはいっても,何らかの区切りがあることで,家族というか親族が集うことができ,1年を振り返り,滅多に会わない人との旧交を温めることには意義があるとは思います。

さて,このホモサピエンスの摩訶不思議なイベントをもう少し楽しむことにします。
今年はもう少し物事を素直に捉えられる人間になりたいです。

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