2014.03.18 [ 齋藤 健太郎 ]

弁護士をしていると,よく「人権」や「権利」という言葉を使いますし,そういう言葉に敏感になっていきますが,果たして「人権」というのは何か,「権利」というのは何かといわれると,実はすごく難しい問題です。

法律相談を受けていると,「先生,これは人権侵害じゃないですか!?」などということを言われる方もおられますが,大抵は,人権侵害という表現が適切ではない場合も多いです。「酷い扱いを受けている」ということが直ちに人権侵害というわけではありません。一つの感情表現としては十分に理解出来るのですが。

では,「権利」というのは一体何なのでしょうか。

最近,精子ドナーによって生まれた試験管ベビーが,父親に会うために情報の開示を病院に対して求めるという裁判が起こされたというニュースを読みました。
通常は,ドナーになる場合には,自分が父親であるということは開示しないという約束のもとに提供をしているはずです。しかし,子供の側に立って見れば,自分の血の繋がった父親が誰なのかという情報がすぐそこにあるのに,それを知ることができないといわれると,納得できないという気持ちになるでしょう。父親を知らなくてもいいと思ったのは母親であって子供ではありません。それを「父親に知る権利」というのであれば,尊重されるべきものだということもいえるかもしれません。

ドイツでは,父親を知る権利が裁判で認められて,父親に会うことを実現したということがあったようです。そこでは,やはり父親を知ることはとても重要なことだと判断されたようです。
なんだかとても心の温まる話に思えますが,父親が会いたいと思っていない場合がほとんどでしょうし,その結果家庭を崩壊しかねない問題も生じさせることになるでしょう。

一方で,アメリカでは,精子ドナーの父親に対して,養育費の支払請求がなされるという事件もあったようです。父親を知る権利を行使した結果,養育費を支払ってもらう権利というところまで波及するとこれは大変な問題です。日本でも,認知請求という形で同じ問題が起きる可能性は十分にあるでしょう。

ちなみに,アメリカでは,一人の精子ドナーから150人以上の子供が産まれている場合もあるようですので,そうなるとこれは大変なことになります。父親を知る権利を行使した結果,養育費の支払請求が多数発生したり,近親相姦が発覚するという事態も考えられます・・・。

150人の隠し子騒動なんて私には耐えられません。
「権利」というものの難しさを感じる話でした。