2017.04.03 [ 齋藤 健太郎 ]

メディアの力がないのか,日本人の力がないのか
問題だと思うことや,不合理だと思うことも
「問題ない」
というだけで問題なくなってしまうなんて気がしてしまいます。
裁判でも
「否認する」
「不知」
という回答があって,主張責任・立証責任を負うものが証明しなければならないので,この二つの対応だけでも裁判の対応としては成りたつわけです。
しかし,どうしても説明がなければおかしいところや,説明がないことが不利益に理解されることも多いわけで,それだけで勝てるほど甘くはありません。
それなりに証拠や説明が出てきたときには無視できなくなるのです。
政治であればなおさら主張責任や立証責任というものでは解決しないため,より説明が求められることになります。
資料がないから仕方ない,なかったことを証明するのは悪魔の証明だ,などというのは本質からずれているでしょう。