2016.03.29 [ 齋藤 健太郎 ]

私が子どもの頃は,癌だと医者に告知されるのは家族だけで,本人には言わないというのは当たり前のことでした。

ドラマとかでも,癌だと告知されているのに,妻が「お父さん,胃潰瘍だってさ」と言う。「そうか〜」と安心するお父さんが,だんだんと痩せていって,自分の病名を知らないまま死んでいくというのはよくあるシーンでした。
たまに,「もう長くないのはわかっている・・・」とかなんとかいって,癌だということを家族に言わせようとするのですが,家族は「何言っているのお父さん!そんなことないわよ」と言ってごまかすなんてシーンもありましたね。

ところが,20年ちょっとで,時代はすっかり変わってしまいました。
告知は当たり前のことになりました。
よほどの事情がない限り,本人に告知します。
自分のことなんだから知らないとおかしいですし,死ぬための準備や死ぬまでに伝えたいことなんてものもあるのではないかと思いますから,告知しないでそれを奪ってしまうのも酷い気もします。

私が持っている古い本に,「ユダヤ人が見た日本人」的な本があるのですが,その本でも,日本人が癌の告知をしないのが「人権侵害ではないか」とまで言われていました。
たしかに日本人には,欧米人とは違って,死を受け入れる文化や宗教がなかったのかもしれません。

でも,実は,告知はしなくても,「ああ自分は癌か何かで死ぬんだな〜」ということは多分わかっていたのでしょうね。
家族も,お父さんはわかっているんだなと薄々気がつきつつも,互いに気がつかないフリをして,なんとなく死を迎えていく。そのような,とても曖昧な,いかにも日本人的対応だったのかもしれません。

原因はよくわからなくても死期はなんとなくわかるとすれば,ほぼ助からない癌を告知するのではなく,なにもなかったかのように過ごすという選択もあってもいいのかもしれません。