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遺失物法って知っていますか?

2014.03.31 [ 齋藤 健太郎 ]

落とし物は誰のものでしょうか?
当然,落とした人のものですよね。拾った人のものではありません。

そして,基本的には,誰かのものをそのまま自分のものにした場合には,占有離脱物横領という犯罪になったり,壊したりしてしまえば,器物損壊という犯罪にもなる可能性があります。

しかし,人間は忘れ物をする動物です。電車の傘の忘れ物なんて非常に大量ですよね。私も子供の頃より忘れ物ばっかりで,財布を何度もなくしたことがある人間です。いまでも高い傘だけは絶対買いません。

そんな忘れ物社会ですから,忘れ物が人の所有物ということを貫いてしまうと面倒な事態となります。大量の忘れ物が捨てることもできず,そのままどうして良いかわからない状態になってしまいます。

そこで昔からある法律が「遺失物法」という法律です。
名前は知らなくても,「落とし物は警察に届ける」なんてことは聞いたことがあるでしょう。
そのようなことは全てこの法律で定められているのです。
この遺失物法は,実は,明治32年からある古い法律でしたが,時代に合わなくなり,平成18年に改正されています(平成19年施行)。
子供の頃に,落ちている物を見つけて「いーものみつけた!」なんて思いましたが,拾った物は自分のものではないと知って少しがっかりしたのを思い出します。

以下,滅多にみない,さほど知らなくてもいいこの法律を少しみてみましょうか・・・。

(1)落とし物を拾った場合には,路上で拾った場合には警察に届けることが必要ですが,施設内の場合には,施設の占有者に届けなくてはなりません。
(2)警察の保管期間は3ヶ月間です。落とし主が3ヶ月現れなかった場合には,拾った人の物になりますが,2ヶ月以内に受け取りにいかなくてはなりません。但し,携帯電話などは個人情報の問題があるので拾った人のものにはなりません。
(3)なんとインターネットで3ヶ月間,落とし物が公表されています。
(4)公共交通機関など特定の占有者は,落とし物を自ら保管することができますし,傘などは一定期間経過後に売却することもできたりします。

いつも「所有権」というものを守る仕事をしている身としては,落とした物が,全然関係ない拾った人の物になったり,売却できたりするというのは,とても不思議なことのように思います。

さて,復習の問題です。パチンコ店で,隣の人が落としたパチンコ玉を拾った場合には,どうすれば良いでしょうか?
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隣の人に返してあげて下さい・・・。

家族の一体感とは

2014.03.30 [ 齋藤 健太郎 ]

先日、夫婦別姓の選択権がないことが,女性に姓を変えることを強要するもので憲法違反だとして,慰謝料を請求する裁判の判決がありました。
第1審の判決は,国が法律を変えないことは違法ではないとして,慰謝料請求を認めませんでしたが,その控訴審の判決です。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140328-OYT1T00507.htm?from=tw

控訴審の判決では夫婦同姓は家族の一体感を確保する目的であり正当性があるとしたうえで現時点では別姓を名乗る権利は認められていないとして請求を退けたとのことです。

法律を変えないことが違法になるためには,単に法律が憲法違反かどうかというだけではなく,明らかに憲法違反であるレベルまで達していなければなりません。その意味では,この戦い方をする以上,ハードルはとても厳しいものであり,簡単には勝てません。結論としては,それなりの理由もあるので,明らかに憲法に反する規定ではないということになるのでしょう。ニュースでは,その付近の解説が十分なされていないように思われます。

ところで,夫婦が同じ姓にならなければいけない理由ってなんなのでしょうか。
これは当然のことのようにみえてそうではありません。法律上の夫婦が異なる姓を名乗るということは他の国では認められているので,同じように夫婦別姓を取ることは難しいことではないはずです。

本件の原告は事実婚の夫婦ということのようです。
事実婚の場合には,当然に姓が違いますが,夫婦や家族の実態は,姓が同じ夫婦と何も変わらないはずです。
判決では,一体感の確保が目的とされたようですが,姓が異なるとしても家族としての一体感はあるはずです。家族の一体感を高めるのは「おんなじ名前だねー」ということではなく、共に生活し共に語らい苦難を分かち合うことでしかないてしょう。

私自身が,結婚する女性の姓に変えなければならないと言われた場合どう思うかを考えてみました。
まず一番先に考えたのは,両親のことです。
親は私のことを跡取り息子と思っているのかもしれない(継ぐようなものは何もありませんが),それを裏切ってしまうのではないだろうか。お墓はどうなるのだろう・・・姓が違っても入れるようだが,「齋藤家」の墓なのに姓が違うのもなんだかおかしい気もする・・・。

そのようなことを考えると,やはり姓を変えられない事情のある女性も沢山いるはずですし,互いに姓を変えるのが難しいという理由だけで婚姻ができないというのも辛いことだと思います。

まずは,女性が男性側の姓に変えるのが当然だという考えから変えていかないといけないのかもしれませんね。

袴田事件

2014.03.28 [ 神村 岡 ]

昨日,袴田事件について,再審開始決定が出ました。

袴田事件とは,1966年(昭和41年)に発生した,会社専務の一家4人が殺害され放火された事件で,当時専務が勤務していた会社の従業員であった袴田氏が犯人として逮捕され,裁判では一貫して容疑を否認していたものの,有罪とされ,死刑判決を言い渡されていました。

裁判では,袴田氏の捜査中の「自白」や,裁判中に発見された作業服などが証拠とされていました。

しかし,最近になって,作業服に付着していた血痕が袴田氏のものでない可能性が高いことがDNA鑑定によって明らかになり,これが今回の再審開始決定の大きな理由になったようです。
これまでは,血液の状態が悪かったため鑑定のための十分な資料がなく,DNA鑑定ができなかったのが,科学技術の進歩によってDNA鑑定が可能になったのです。

袴田氏は,再審開始と同時に死刑と拘置の執行が停止され,釈放されました。
犯人として逮捕されてから,実に47年間以上も拘束されていたのです。しかも,死刑が確定してから数えても30年以上です。
袴田氏の心境は想像を絶します。

再審開始決定で,裁判所は,犯行時の着衣とされた証拠が捜査機関によってねつ造された可能性にも言及しています。
これが事実であるとすれば恐ろしいことですね。


医療事故と真相究明の難しさ

2014.03.23 [ 齋藤 健太郎 ]

あなたの家族が突然,予想もしない理由で病院で亡くなったとします。
原因はよくわかりませんが,医師からは死ぬ可能性があるなんてことは言われていませんでした。

そこで,医師に説明を求めます。
どうして死んでしまったのですか?
医師からは,「予想外のことが起きました」ということに加えて,その理由についての説明がなされるでしょう。
理由は様々でしょうが,「原因はわかりません」などと言われることもあれば,「実は我々のミスです」などと言われることもあるでしょう。

では,医師からの説明で納得ができるでしょうか。とても信頼できる先生に十分な説明を受ければ納得することもあるでしょう。しかし,あまりに予想外の死に対して簡単に納得ができないこともあります。

そこで医師からは解剖を進められることもあります。場合によっては,事件の可能性があるということで,警察が関与し,「司法解剖」というものが行われることもあります。司法解剖の場合には全身について解剖が行われますが,病理解剖の場合には関係がないとされる部分は行われません。
そもそも,大切な家族の身体を切り刻まれるのは大変辛いことです。そのような理由で解剖を断念される家族も多く,その結果,解剖がなされないままの事案もあります。

解剖をすることでかなりの事実は明らかになります。しかし,仮に解剖をしたとしても,解剖は医学的な観点を中心として死因を探るものですので,それだけでは何が起きたのかということを全て明らかにすることはできません。

そこで大切なのが医療記録などから「事実」を立体的に組み立てていくことになります。
当然,医療記録が真実を記載しているものとは限りません。場合によっては,医療機関による改ざんがなされていることもあるでしょうし,誤った記載もあることでしょう。
しかし,その作業を積み重ねていくことでしか真実には近づけません。
そして,医療記録のみではなく,証人である医師・看護師からの証言を得ることも大切なことです。

ここまでの過程で,原因究明にはいくつもの壁があるということにお気づきでしょうか。
1 医師からの説明が十分ではない場合がある。
2 病理解剖だけでは十分ではない場合がある。
3 解剖が行われない場合がある。
4 解剖だけでは事実が明らかにならない場合がある。
5 医療記録が必ずしも正しいとは限らない。
6 証人からの証言を得られないと正確な判断ができない。

現在,医療事故の原因についての第三者機関の設置が進められているようです。
しかし,医療事件を経験してきた立場からは,本当に第三者機関が公平で納得のいく結論を出せるのか疑問があります。
裁判がマイナスであるというイメージを強く持っている方も多いのかもしれませんが,事実を確認していく作業というのは第三者的な機関が調査を行えば簡単にできるというものではありません。裁判手続にも事実を確定する作業として一定の価値を見い出すべきではないでしょうか。
時間がかかるという大きな問題はありますが,私が今まで担当してきた事件については,訴訟を提起したことを後悔している方はいないと思います。

そもそも原因を明らかにするという作業は,責任の所在を明らかにするということでもあります。
そこをぼやかして,なんとなく遺族を納得させるというような制度にならないように強く望みます。

人生の値段を決めるもの

2014.03.23 [ 齋藤 健太郎 ]

かなりニュースでも話題になったので知っている方もいるかもしれませんが,昨年の11月に,とても興味深い判決がありました。

 

60年前に病院で取り違えられた赤ちゃんが,相当な期間経った後にDNA鑑定によって真実を知り,病院相手に損害賠償請求をしたという事件で,裁判所は,病院に3800万円の損害賠償を命じました。

 

果たして,なぜ3800万円だったのか,「生まれる家庭が違う」ということがどのように慰謝料を生じさせるのか・・・ということが気になっていたのですが,ようやく最近,判決文を読む事ができました。

3000万円が本人の慰謝料,200万円がすでに亡くなった両親の慰謝料の相続をした分ということのようです。

 

この事件のポイントは,以下の点にあります。

1 本当は裕福な家庭に産まれたはずだったが,原告が育てられた家庭は生活保護を受給しており,経済的理由から,原告は進学を断念して中卒で働き,収入も低かった。

2 実の弟3人と自分と取り違えられた男性も皆大学に進学していました。

 

ここで問題となるのは,もっと稼ぐことができたのに稼げなかったということを,経済的な損失として請求できるかどうかです。

 

現実の問題としては,教育にはお金がかかります。

大学に行くための費用も当然必要ですが,その間働かなくても良い環境にいなくてはなりません。また,それ以外にも子供の頃からの教育費用も必要となるでしょう。

そういう観点からは,「もっとお金を稼ぐことができた可能性が高い」ということが認められる余地はあったといえるでしょう。東大生の半数以上は年収950万円以上の家庭という統計もあるようです。

一方で,もし取り違えがなかったら,どんな人生を送ったかは誰にもわかりません。もしかしたら,それでも中卒だったかもしれないし,進学しても遊び人になってテニスサークルでテニス三昧だったかもしれない。取り違えがなければ,「高収入を得られた」可能性が高かったとまで言い切れるでしょうか?

 

この点について判決はこのように述べて,請求を認めませんでした。

「家庭環境だけで,中卒又は高卒で終わるのか,大学への進学及び卒業が可能になるかが必然的に決まってしまうわけではなく,本人の能力,意欲,関心の所在等によって,大学進学の機会が与えられながらあえて大学進学という進路を選ばず,若しくは入試の失敗により進学を断念し,又は大学への進学を果たしたものの卒業に至らずに終わるといった例も決して少なくない。しかも,原告X1が18歳であった昭和46年当時の大学進学率は昨今のように高いものではなく,現在の感覚以上に大学への進学は容易なことではなかったと考えられ,また,本件取り違えから大学進学時まで最短で18年,卒業まで最短で22年という長期間(しかも人の人生において最も多感な時期)があり,出生後間もなくの時点をもって,その間に生じ得る状況の変化を見通すことは困難である。そうすると,本件取り違えがなかったとしても,原告X1が大学卒業の学歴を得ることができたかどうかは,必ずしも明らかでない」

 

18〜22歳までが人生において最も多感な時期であるという判決理由はなかなか面白いものがありますが,要するにグレていたかもしれないということでしょう。

 

そのように記載しつつ,判決は以下のようにも述べています。

「もっとも、本人の意欲さえあれば大学での高等教育を受けることが十分可能な家庭環境が与えられるはずであったのに、経済的な理由から中学卒業と同時に町工場に働きに出ることを余儀なくされ、およそ大学進学など望めないような家庭環境に身を置かざるを得なかったことが本件取り違えによって生じた重大な不利益である」

 

高等教育を受ける「チャンス」を得られなかったという意味では慰謝料にとどまるのは適切な判断だと思います。しかし,生まれや育ちによって人生の幸福度に差がないはずだという考えを突き詰めれば,その点については慰謝料を認めないという結論もあったかもしれません(本当の親と過ごせなかったという点は別でしょうが)。しかし現実は違いますし,彼の無念さを無視することはできなかったのでしょう。

苦肉の策

2014.03.22 [ 齋藤 健太郎 ]

弁護士業務は常にそれなりの業務量があります。
忙しい自慢じゃないのですがなかなか人に任せられないため自分で時間をかけなくてはならないことが多いです。
しかも文章を書く仕事については落ち着いて集中する時間がどうしても必要になります。日中は電話がかかってきたりすぐにやらなきゃならない仕事が舞い込むこともあるのでどうしても文章を書くのは夜になってしまいます。それ以外には休日を使うしかありません。
そうなると・・・必然的に平日に家に帰るのが遅くなります。
また夜はどうしても頭が疲れていて効率も良くありません。

そこで先週から早起きして朝に仕事をするようにしています。
だいたい四時半から五時まで仕事をするといった感じです。
とても集中できますしやはり効率も良い感じがします。
そして子供が寝る前に会えるというのはやっぱり幸せですよね。

果たしていつまで続くのかわかりませんが続けてみます!


開かれた司法,窓のない法廷

2014.03.22 [ 齋藤 健太郎 ]

元エリート裁判官の書いた「絶望の裁判所」という本が我々の業界では話題となっています。
私は全く読んでいないので書評をするつもりはありませんが,官僚的な裁判官制度に対する恨み節と批判ということのようです。
裁判官のシステムには大きな問題があると考えていますし,法曹一元(弁護士が裁判官になったり検察官になったりする。逆もあり)には大賛成です。昔読んだ「裁判官はなぜ誤るか」という本も同趣旨の本で,問題意識は昔から法曹関係者には共有されていると考えています。問題はそうするためにどうしたらいいかということなんだと思います。議論を喚起するのは大切なことですが。

そもそも,この本を読む気になれないのは「絶望の」という表現使い方がスキじゃないからです(笑)。
文学的な表現にしたつもりなのかもしれませんがあんまりセンスを感じませんね。
「瀕死の裁判所」とか「とかならまだいいのかもしれませんが(笑),絶望は状態を示すものではなく,誰かの主観的な感想ですから,あえて使うなら「裁判所」とか実際にあるものすごい堅苦しい場所じゃなくて(そもそも絶望的な場所だし),何かなかったのかな。

そんな本当にどうでもいいことを真剣に考えながらふと思ったのは,そういえば裁判所の法廷って窓がないなあということです。
札幌地裁の法廷しか明確に思い出せませんが,少なくとも私の記憶する限り法廷には窓がありません。

なぜ窓がないのかを私なりに分析してみました。
*被告人が逃亡しにくくしている?・・・そもそも7階とか8階にあるから逃亡無理か。
*外部からの狙撃を防いでいる?証人の狙撃とか・・・やろうと思えば違うところでできるか。
*プライバシーの問題で,外部から見えないようにしている・・・これはありそうだな。でも曇りガラスにすれば・・・。
*裁判所の構造として,実は裁判官席の裏に通路を作る必要があり,結果としてその通路側が建物の端となるため?
もう少し説明すると,裁判官は傍聴人や当事者とは違うところから出入りしていてその姿は法廷以外では基本的に見られない構造になっています。それを維持するために,通路を建物の端(窓側)に作っているのではないかという推論。
*暗い感じが裁判官または裁判所の威厳を高めている?・・・明るくても威厳は保てるのではないか。
*窓から入る音によって証人尋問の際の証言の聴き取りや録音が難しくなる・・・これが一番考えられますね。でも防音ガラスで開けなければいいのでは。

まあ結論としてはようわかりません。
少なくともそのおかげで夏は窓から風が入らないためにとても暑いときがあります。
汗だくで証人尋問ということもありました。
そして何より陽の光が入らないので重苦しい雰囲気となります。そうじゃなくても重苦しい話ばかりなので,次に裁判所を建て替えるときには検討して欲しいですね。

なお,なぜか札幌地裁の法廷は,シーンとしていると天井から「プチ,プチプチッ」って音がなります。
なぜなのか誰か教えて下さい。

ドンキホーテとAKB

2014.03.22 [ 神村 岡 ]

ドンキホーテが,AKBの運営会社と大手パチンコメーカーに対してパチンコ台の販売差止めと50億円の損害賠償請求を求める訴訟を起こしたそうです。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/civil_code/?id=6111028

ドンキホーテの主張は,ドンキホーテはAKBを創設期から支援していて,AKBの公式グッズの独占販売権を持っているのに,パチンコメーカーが無断でAKBのパチンコ台を作って販売しているから,その分損害を被ったというものです。

ドンキホーテとAKBが関係が深かったということ自体初めて聞きましたが,「独占販売権」に基づいてパチンコメーカーを訴えているという点がピンときません。


仮に,ドンキホーテとAKB運営会社との間で,AKBの公式グッズはドンキホーテ以外には販売させないという合意があったとしても,それはあくまでドンキホーテとAKB運営会社との間の合意に過ぎず,その合意によって第三者の行動が制限されるということは通常は考えられません。

運営会社が合意に反した場合には契約違反ということで損害賠償責任を負うとしても,第三者は関係ないということです。

例えば,特許の使用許諾の場合にも同じようなことがいえます。

特許権者が特定の人に特許発明を独占的に使用することを許可することがありますが,この場合でも,このような許可をしたことを登録(専用実施権の登録)して初めて,許可を受けた人(専用実施権者)は第三者に対して特許発明の使用差し止め請求をしたり,損害賠償請求をしたりすることができます。

例外的に,特許権者に対して無断で特許発明を使用している(特許権を侵害している)人に対しては,特許権者が侵害者に対して行使できる差し止め請求権を,独占的な許諾を受けた人が特許権者の代わりに行使することができると考える余地はありますが,これはあくまで第三者が特許権者に無断で特許発明を使用している場合です。
特許権者が,独占的な許可を与えた人との合意に反して他の人にも特許発明の使用を許可してしまった場合,特許権者自身は後から許可した人に対しては何もいえませんから,独占的な許可を得た人が特許権者の請求権を代わりに行使するということも不可能です。


ドンキホーテとAKBの事案では,独占的なグッズの販売権を与えるという合意があったのであれば,その合意に反したAKBが契約違反による損害賠償責任を負うということはわかりますが,パチンコメーカーが何か責任を負うというのはよくわかりません。

とはいえ,ドンキホーテはおそらく弁護士を代理人に立てて訴訟を起こしているでしょうから,記事だけではわからない何らかの事情があるのではないかと思います。

相当時間がかかると思われますが,訴訟の経過に関する続報を待ってみます。

枠のない白地に書く署名

2014.03.20 [ 小西 政広 ]

Harvard Buisiness Review の4月号を買ってしまいました。

読んでて面白い記事があったので,ついついブログに載せてしまいます。

『CEOのサインと性格,そして業績は相関する』
メリーランド大学カレッジパーク校 准教授
ニック・セイバート

調査をしたとありますが,調査の正しさまで検証しきれないので,結論だけです。

自分の名前のサインが大きいリーダーは,概してナルシシストであり,またまた概してその会社の業績もよくない,と。

そういわれると・・・

言い訳。

僕は領収書をもらう際,「小西です」というと,「小さいに西ですか」と言われるのが嫌なのです。

何か小さい奴だと言われている気がして。

こういうことを気にしていることが既に小さい奴なのでしょう。

しかし他にいい表現はないものか。

現在それを乗り越えられていないので,とりあえず全体像くらい大きめに書くようにしています。

将来のお金,今の価値。

2014.03.20 [ 小西 政広 ]

今100万円がある。

その100万円を何に使うかは人によりますが,仮に1年間で5%儲かる投資をしたとする。

そうすると,1年後には今の100万円が105万円になりますね。


他方で,

交通事故に遭って,重い障害が残ってしまった方が,1年後の1年間で稼ぐはずの100万円を失うとする。

交通事故の損害賠償訴訟では,この将来稼ぐはずのお金も,加害者から賠償を受けることができます。


しかし,最初にしたお話のために,将来の100万円は,現在は100万円ほどの価値はない,と判断されてしまいます。


今の裁判では,現金は,年間5%の利益を産めるもの

と考えられています。

そうすると,1年後の100万円は,現在の価値に直すと,0.9523をかける必要があります。

10年後の分は,0.6139をかけます。

20年後の分は,0.3768をかける。

30年後の分は,0.2313を。

これらの数値は,ライプニッツ係数といいます。


しかし,現在の低金利状態を考えれば,今ある100万円を1年後に105万円とすることは,相当困難でリスクの高い投資しなければなりません。

被害者に,そのような投資(投機)を強いることとなる利率は,障害の重さを考えるにつれ,公平では無いと感じます。

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