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齋藤 健太郎弁護士ブログ

懲戒解雇と解雇予告手当

2014.11.24 [ 齋藤 健太郎 ]

ご存じの方も多いとは思いますが,従業員を解雇するときには,30日前に予告する必要があり,もしも突然解雇する場合には,30日分以上の平均賃金を「解雇予告手当」として支払わなければなりません。
解雇予告手当がないと突然解雇されて給料もない状態に追い込まれてしまうので,労働者を保護するためのものです。

しかし,例外もあります。
日雇いの場合や,試用期間の場合などは不要とされていますし,天変地異や従業員に責任がある場合なども払わなくて良いとされています。

気をつけなければならないのは,従業員に責任がある場合であっても,事前に労働基準監督署の認定を受けていないと基本的にはダメだということです。
そのため,懲戒解雇になるような場合(犯罪行為があるような場合)であっても,認定を受けることなく解雇した場合には,解雇予告手当を支払うということになりかねません。

もっとも,裁判では,事前認定をしていなかった場合でも払わなくて良いのかどうかが争われて,労働者に責任がある場合には解雇予告手当を請求できないとされた例もあります。たしかに,事前認定を受けることが絶対の要件とすると,認定を受けるまでの間は給与を払わなければならないことになりますが,それが妥当ではない事案もあるでしょう。

逆に,この裁判例によれば,認定を受けたとしても,労働者の責めに帰すべき事由がないとされる場合もあり得ることになりますので安心はできませんね。

14級非該当→14級前提の裁判上の和解

2014.11.18 [ 齋藤 健太郎 ]

先日,自賠責において,14級の後遺障害が非該当とされた方の事件で,14級を前提として裁判での和解をしました。

14級というのはむち打ち(頚椎捻挫,腰椎捻挫)などで認められることの多い後遺障害で,等級としては最も低い等級となります。
しかし,実はこの14級というのがくせ者です。
というのも神経症状が主体となるので,痛みや痺れなどの自覚症状を証明していかなければならないのです。
そのために基準もはっきりせず,どういう場合に認定され,どういう場合に認定されないのかも必ずしも明確ではなく,難易度は低くないのです。

私の担当した件は,8年ほど前に交通事故に遭ったことで,14級の後遺障害認定を受けていたために,自賠責の方では前に後遺症があったのだから,認定しないとされてしまいました。
これは形式的に判断する自賠責としては致し方ないところもあるのですが,一方で,むち打ちの場合には,後遺障害が認められるといっても,たとえば5年を限度に5%稼げなくなるという形で,一定の期間しか認められません。
そのような場合にまで前に一度後遺症が残ったのだから,二度と後遺症とはならないのはおかしいことです。
片目を失明したような場合と,段々と支障が少なくなっていくむち打ちの場合とは違うのは当然のことでしょう。

そこで,8年前なのだから無関係であるとして訴訟を提起し,無事,14級を前提に和解したということになります。
このような事案では,自賠責で異議申立という手続を取るよりも,早期に訴訟提起した方が良いといえるでしょう。

株主と取締役

2014.11.18 [ 齋藤 健太郎 ]

本当に基本的なことなのですが,意外に理解されていないのが,会社の株主と取締役の関係です。

会社で一番偉いのは誰?と聞くと,おそらく社長と答える人が多いと思います。
でも,株主は会社の所有者です。一番偉いので,基本的に代表取締役である社長さんを解任することができます。株主の方が偉いのは当たり前のことです。

ただし,中小企業の場合には,オーナー社長といわれるように,社長が一人株主でもあることがほとんどです。
そのため,社長が一番偉いというのはそこまで間違いでもない場合が多いですね。
そのような会社の株主総会は正式にやろうとすると・・・全部一人芝居でやるということになります。

「では,開会します。議長は私がやりますね」
「本日の議題は取締役の選任ですね」
「決を採ります・・・はい全員賛成」
「閉会します」

ちなみに「社長」「専務」「常務」というのは法的には存在しない用語です。
法律上は,「取締役」「代表取締役」という地位があるだけです。
とはいえ,対外的には「社長」と言われている人が代表権を持っていて,会社経営の中心となるということになりますので,そういう意味では法的に無意味な用語ではありません。

私も,「所長」などと言われていますが,これもまああだ名のようなものです。

9:1の謎

2014.11.04 [ 齋藤 健太郎 ]

交差点などで車両同士の事故が起きた場合に,基本的に悪いのはどちらかというのがまず問題になりますが,その先に,もう一方の過失というものも問われます。いわゆる10ゼロの事案といえるかどうかです。

正確には,「過失相殺」といいます。

皆さんもご存じのとおり,双方が動いている事故だと,赤信号無視などの場合じゃなければ,全面的に片方が悪いということにはならず,もう一方にも過失が認められることが多々あります。

でも,私は9:1などの場合に果たして過失相殺を認めるべきだろうかという疑問をいつも持っています。
というのも,そのような事故は,片方に大きな過失があることが前提となっていて,その過失がなければ事故自体が生じなかったといえるからです。法定速度で普通に走行していた場合がほとんどですから,逆に,被害者側の「じゃあどうすれば避けられたのか?」という疑問にも答えられないはずです。実はこれは多くの人が抱いている感覚じゃないでしょうか。
非常に重い後遺症を負ったりした場合に,はっきりと落ち度といえるものは何もないにもかかわらず,もらえる損害が少なくなってしまうことになり,問題は大きくなります。

私の個人的な推測ではありますが,このような過失相殺が一般化したのは,保険会社同士の示談交渉が行われてきたことが大きく影響しているのではないでしょうか。常に逆の立場になりうる保険会社間の交渉では,事を納めるために一定の過失を認めるというのは十分に考えられます。

車を運転することがすでに過失なんだといわれれば仕方がないという気持ちになりますが,そこまで小さな過失を問うことにどれだけの意味があるのか再度考える必要なはないでしょうか?
少なくとも,それが交通事故の実務だから当然なんだという考えは正しいとは思えません。

ネット時代の想像力

2014.11.04 [ 齋藤 健太郎 ]

最近は,新聞を読むよりも,ネットでの情報の方が深く情報を得られたりすることもあります。もっと知りたいと思うと,意外と詳しい情報が得られたりすることもあり,情報収集には欠かせないツールです。
また,そもそも新聞だと出てこない情報もたくさんありますので,ネットなしに生活することはほぼ不可能です。

でも,最近思うのは,情報が多いということは,実は真実から遠ざかることもあるのではないかということです。
理由を適当に考えてみました。
一つ目は,情報といっても本当に真実のわずか一部を切り取っているに過ぎないということです。
いくら切れ端が増えたところで,全体像は見えません。

二つ目は,我々がネットで検索しているのは,興味・関心のある情報だけだということです。
逆に情報を与える方もそういう切り口で情報を提供しますので,実は多角的な視点では検討できていません。

三つ目は,デマが紛れ込むためにその情報の正確性が担保できないということです。結局は,あらゆる情報を信じられなくなり,価値は低下してしまいます。

では,ネット社会において,どうやって自分に必要な情報を得るべきなのか。
一を聞いて十を知るという言葉がありますが,少ない情報の中でもこの時代に何が起きているのかを理解していくためには,少ない固い情報から,事実を作り上げる力が必要なのではないでしょうか。
全てを知るというのは無理ですよね。
いくつかの重要かつ大きな視点をもって,想像力を働かせていくことの方がよほど真実に近づけるのではないか・・・そんなことを感じます。

弁護士の仕事も,調査によって証拠が沢山出てこないことも多々あります。
その場合に必要なのは,想像力を働かせて,いかに説得力のあるストーリーを裁判官に提示するかということです。
少ない事実であっても,それが全て一つの流れで説明できるときには,とても説得力のある話になります。
逆に一つ一つの証拠だけでは,ジグソーパズルのピースに過ぎませんが,足りないところを埋めていくと,全体の絵が見えてくる・・・たとえるとそんな感じでしょうか。
まさに弁護士の腕の見せ所ではないでしょうか。

懲罰的損害賠償

2014.10.27 [ 齋藤 健太郎 ]

よくアメリカでは,何十億円,場合によっては何百億円という金額の損害賠償請求が認められることがあります。
ニュースで見ていても,日本に比べて非常に高額だなあという印象を受けます。

日本では,人が一人亡くなったとしても,1億円にいかないというところですが,アメリカではなぜそんなに高くなるのでしょうか。

その原因の一つが「懲罰的損害賠償」(ちょうばつてきそんがいばいしょう)というものの存在です。
これがあると,実際に受けた被害を回復するということを超えて,要するに悪いことをしたことに対する制裁としての金額が上乗せされるということになります。

アメリカでは,医療訴訟でも,金額が高額化するために,保険料が高額となっているということも聞きます。
それに対して,一部の州で医療訴訟における損害賠償額に制限が設けられるなど,対応がなされているようです。

日本では,被害を回復するということだけにとどめるという考えが強いため,今後も懲罰的損害賠償が認められる可能性は低いとは思います。
また,アメリカの陪審制(一般の人が判断)とは違って,日本では,民事事件は裁判官が判断します。
裁判員制度というものがありますが,あれは民事事件ではなく,刑事事件のみです。
仮に,日本でも陪審制が採用されるようなことがあれば,それと相まって,金額が高額化するということも考えられますが,今後も日本では控えめな金額にとどまることでしょう。

裁判ではある程度の相場というものがありますが,被害をお金に換算すること自体が非常に難しいことです。
ひどいことをされた相手に大きな負担をしてもらいたいというのはとても素直な感情でもあり,懲罰というかどうかはおいても,適切な損害賠償というものは常に考えていかなくてはならないと私は思います。
すでに失われたものは決して戻らないのですから。

中村さんのノーベル賞

2014.10.14 [ 齋藤 健太郎 ]

日本人じゃなくて,すでにアメリカ国籍の中村さんが青色発光ダイオードを実用化するまでの話をネットで読みました。
1995年の雑誌に掲載されたものなので,まだ日亜化学工業を相手に訴訟をしていない頃の話となります。

詳しい内容はご自身でお読み頂くこととして,私はこの話を読んで素直に感動しました。
これを読むと大企業でもない会社の一社員が,世界的に認められる発明をすることのすごさがわかります。また,発明に至るまでに中村さんが費やした時間・労力がどれほどのものだったのかも伝わってきます。

常に中村さんは,人がすでに選んでいる方法は選ばないという基本姿勢を貫いているように思えました。
必ずしも「人が選ばない道=正解」ではありませんが,少なくとも同じ事をやっていては先んじることはできないというのは真理かもしれません。

この後に日亜化学工業と訴訟になったのは非常に残念です。
同じ方向を向いて世界的発明を成し遂げたにもかかわらず争うことになった原因がどこにあるのか。

従業員の業務上の発明は,職務発明といわれ,会社が権利を取得する場合には相当の対価を支払うことになっています。
その相当の対価がはっきりしないために争いになりやすいということはいえるでしょう。
また,どうしても社内にいると会社の意向に逆らいにくいという環境もあるのかもしれません。

現在,この職務発明について特許法の改正が検討されているようです。
より企業に有利になる改正のようですが,果たしてそれが正しいのか。
発明するのは個人であり,そのインセンティブを保てるようにしなければ,かえって失うものが大きいという可能性もあります。

私としては,日本生まれだけどアメリカ人の方がノーベル賞を取ってもあまり嬉しくないです。

法律事務所の名前のおはなし

2014.10.07 [ 齋藤 健太郎 ]

法律事務所の名前には,いくつかのパターンがあります。
まず,昔からあるのが,「齋藤健太郎法律事務所」というように,「名前+法律事務所」というパターンです。
一人事務所では,これはわかりやすいです。
私のようにどこにでもいる名前の場合には,下の名前まで入れないと区別できないので,フルネームになりますが,珍しいお名前なら,名字のみでもいいでしょう。
私が死んだ後は,誰かの名前に変えるのではなく,「齋藤健太郎記念法律事務所」という名前に変更してもらいたいものです。

あとは,その亜種として,「齋藤総合法律事務所」のように,なぜか「総合」が入る事務所があります。
「総合」とか「綜合」とかが入ると,なんだか手広くやっているような印象を受けるのを狙っているのかもしれません。
正直,何が総合なのかよくわかりません。いろいろな人がいるという意味会いを持つこともありそうですが,一人事務所でもよくありますね。
ほかにもなんとなく「中央」が入っていたりすることもあります。

共同で事務所を経営しているような場合には,「合同」という言葉が入ることもあります。

あとは,名前を羅列する事務所もあります。「齋藤・小西・神村法律事務所」という感じです。
これは言い名前が思いつかないという場合の最後の手でしょう。順番をどうするかについては一悶着ありそうです。
アメリカでは,「〜&〜」とか,「〜&パートナーズ」なんて名称もありますね。

全く名前とは関係のないカタカナを用いる事務所もありますね。
「アディーレ」とか「ホーム・ワン」など,最近の大手事務所の主流かもしれません。
ほかにも「ヴァスコ・ダ・ガマ法律事務所」なんてのもあったと記憶してますが,一方で,「エジソン法律事務所」は登録が許可されずに裁判になったとかならないとか・・・。

ここ10年くらいで出てきたのが,「〜弁護士法人」,「弁護士法人〜」というものです。
弁護士法人というのが出来てからは,法律事務所という言葉は入れなくても良いことになりました。
「弁護士法人 ケンタロウ」とかもありということになります。
健太郎イチゴもあるぐらいですから,それもありなのかもしれませんね。

どうでもいいお話でした。アディオス。

山川海というリスク

2014.09.30 [ 齋藤 健太郎 ]

生きるというのは本当に危険なことですね。

私の不安症については,一度少しだけ披露させて頂いたことがありましたが,エボラ出血熱,広島の土石流,御嶽山の噴火などをニュースで見ていると,恐ろしくて仕方がありません。

では,そのようなリスクをどのように避ければ良いのかを検証してみましょう。
1 まず山は絶対に行ってはいけません。山菜のために命を失うのは割に合いません。
遭難,噴火,雪崩,熊,イノシシ,狩猟の流れ弾に当たるなど恐ろしいことばかりです。
2 川にも近づいてはいけません。
増水,鉄砲水がありますし,当然泳いで溺れる可能性があるので,水に入るなんてもってのほかです。
3 海もダメ。説明不要。
4 道路を歩くときには,できるだけ歩道のある道路を選び,明るい服を着ましょう。夜は避けましょう。
5 自転車もバイクも禁止です。あんな無防備な乗り物はありません。

うーん。何も楽しいことができなくなります。
むしろ楽しくなさすぎて自殺のリスクが高まるかもしれませんね。
生きるのは難しいです。

ちなみに話しは変わりますが,川内原発の審査で,火山が予知できることを前提に審査が通ったが,専門家から批判があるというニュースを目にしました。御嶽山の噴火が予測できなかったのに,なぜ噴火が予測できるというのでしょうか。私のような不安症の人間からすれば,原発なんて狂気の沙汰です。

本物の涙

2014.09.29 [ 齋藤 健太郎 ]

友人の結婚式に出て不覚にも泣いてしまいました。
齢37歳にして人前でポロポロと涙を流すのはなんとも恥ずかしいものです。
なぜ泣いてしまったのかについては話せば長い話になりますので省略。

この年になってしかもこんな仕事をしてるとだんだんと心も歪んできて物事を素直に受け止められなくなります。
人の言葉をそのまま受け取れずに裏を読んでしまいがちです。褒められても,お世辞としか受け取れません。
そんな私も,実はドラマとか映画で簡単に泣いてしまいます。
こんな私がフィクションだとわかっていても泣いてしまうのは,どうしてなのでしょうか??
特に疲れているときほど泣いてしまう傾向にありますので,たぶん何か泣くことでストレスを解消したいのかもしれません。

結婚式は最近ではハワイで挙げる人とかもいますし昔ながらの式も減っているように思います。
どう考えてもキリスト教徒ではないのに教会式をやることの違和感とか、謎の外国人が出てきてへったくそな日本語でセレモニーを行うことの違和感はありますが、やはり結婚式というイベントは良いものですね。
いいんですよね,両親への手紙を読む時にあえて泣けるBGMが流れたとしても。
そこに娘から親への偽りのない感謝があればそれでいいんです。

偽りのない気持ちに触れて本物の涙を流す機会なんてそうそうあるものではありません。

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