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齋藤 健太郎弁護士ブログ

札幌は碁盤の目だけど

2015.02.23 [ 齋藤 健太郎 ]

本州で車に乗るといつも思うことがあります。
なにしろ道が狭い。道がわかりにくい。道が斜め。
これが国道?みたいな道もよくあります。

札幌にいると道が広いですし,大体住所を聞くだけで,知らないところでもイメージが沸きます。
あまり考えなくても道に迷いませんね。

でも,私が苦手とするところがいくつかあります。
特に,桑園の付近は非常にわかりにくい。碁盤の目ではあるのですが,斜めに碁盤の目が入っているので,違う場所から来ると突然わからなくなるときがあります。
最近ではナビがあるからいいですが,昔は本当にわけがわからなくなることがありました。

そういえば最近ドライブレコーダーをつけました。
自分に過失全くないのに人を轢いてしまうなんてこともないわけではありません。
そのときに自分に過失がないことを立証するのは本当に大変です。
青信号で走行していたということを証明することすら以外に難しいものです。突然人が出てきたとしても,それが直前なのかどうかも簡単には証明できません。
運良く証人がいればいいですが,いなければとても悔しい思いをすることもあります。
そういう意味では,ドライブレコーダーは自分の身を守るために不可欠だと思ってつけてみました。
最近では,ドライブレコーダーを付けているタクシーも増えてきたように思います。

でも一つ問題が・・・。
ドライブレコーダーがあまり普及すると,過失での争いがほとんどなくなって弁護士の出番がなくなるかも・・・。
まあ,それはそれで世の中が良くなっているのだから良いとしますか。

つまらなくてすみません。でもありがとう。

2015.02.23 [ 齋藤 健太郎 ]

このブログも多数の方々から会う度に「つまらないね。面白くないね」といわれて久しいのですが,つまらないということを言ってくれる人達は,ブログを見てくれているということです。
特に「相変わらずつまらないね」なんて言われた日には,感謝に堪えません。つまらないにもかかわらず継続して読んでいるとすればこれはまさに苦行です。

私の成長に期待しているということなのでしょう。
今後,少しでも役に立つ面白いことを提供したいと思います。
ローマは1日にしてならず。石の上にも3年。
ブログはマラソンと一緒です。

さて,私,齋藤健太郎は,友人からけしかけれたことから,
「北海道マラソン」にフルマラソンで出場することを決定いたしました!

目標タイムは4時間15分。
マラソン未経験であり,長距離が苦手であり,若干メタボであり,足腰が弱いというハンディキャップを乗り越えて,結果を出せるのでしょうか。

苦行に耐えてブログを読んでくれている方々に負けずに私も頑張ります。
うっかりエントリーを忘れないことを祈っていてください。

覚せい剤とダルクと条件反射制御法

2015.02.21 [ 齋藤 健太郎 ]

覚せい剤の依存症になってしまった場合に,自分の意思だけでやめられると思っていますか?
そんな簡単じゃないことは今まで繰り返してきた人々を見ればよくわかると思います。

特に芸能人の方々が,覚せい剤をなかなかやめられないのはよく目にするところです。
最近でいえば,小向美奈子さんが覚せい剤で3回目の逮捕をされていました。
2回目は嫌疑不十分で不起訴となっていたようですが・・・。
また,田代まさしさんが最近出所してきたというニュースも見ました。この方もコカインを止められずに二度目の逮捕で実刑になったものと記憶しています。

弁護士として国選の刑事事件を担当していると,必ず覚せい剤事件をやります。
10回目などという人も結構いて,どうしたらこの人は再び覚せい剤に手を出さずに済むのだろうかと考えてしまいます。
皆さん,「もう止めます。絶対誓います」というのですが,前の裁判でも同じ事を言っているので,誰も信じません。
家族も最初は支えていくのですが,次第に呆れてしまい,諦めてしまいます。

でも,それでいいのか?という疑問を常に持っていました。
というのも,一度手を出してしまったのはその人の責任だとしても,止めたくても止められなくなったことまで全て責任を問えるのでしょうか。
精神障害の国際的な分類でも,覚せい剤依存や薬物依存は精神障害とされています。
この問題は,覚せい剤だけでなく,アルコールを含む薬物全般に言えることです。問題の本質という意味では,ギャンブル依存も全く同じでしょう。

では,どうすれば克服できるのでしょう?
昔から依存症克服のための自助組織というものがあります。
ダルクという組織があり,各地に住居などがあります。そこで仲間と一緒にミーティングをしながら生活をして,乗り越えていくというものです。
田代まさしさんもそこに通っているようです。
長期間継続することが大切だと思いますが,一定の効果がある方法とされています。

また,覚せい剤を含む依存症を克服するための治療として条件反射制御法というものがあります。
私も研修を受けたことがありますが,非常に有用な方法ではないかと感じました。
ASKAさんもこの条件反射制御法による治療を受けているという報道がありました。

中にはいまだに根性論を強く訴える人達がいるようですが,どうでしょうか・・・?
まずは,覚せい剤依存というものに対して,刑事処罰を中心に考えるのではなくて,リハビリ施設や治療を行うことをメインに据えるべきだと思います。刑務所に入れることが抑止力にならないことは明らかです。
被害者がいる犯罪とは違うのですから,本人のために,社会のために何が一番いいのかを真剣に考える時期に来ていると思います。

カラス戦争

2015.02.17 [ 齋藤 健太郎 ]

20××年,人間はついにカラスに支配されるに至った。
家の前の電線にはカラスが横一列に並び,家を出ようとするとそこをめがけてフンを落としてくる。
家の前はカラスのフンですっかり汚れてしまい,うかつに歩くことすらできない。
これには,まさにフン慨するしかない。

そこに救世主が現れた。
意外にもあの値上げバクダンで地球を恐怖に陥れた北海道電力団だ。
なんと電線に針のようなものを張ってカラスを撃退してくれるという。
仕方がないので世話になることにしたところ,なんという絶大な効果。
クローの甲斐あって人間はついにカラスに勝利したのであった。

という実話でした。

エンディングノート

2015.02.16 [ 齋藤 健太郎 ]

「終活」とか,「エンディングノート」なんてのが流行ってから結構な時間が経ちますね。

でも,エンディングノートって,おかしいと思いませんか。
終わっているノート,終わっていくノートとでも訳すのでしょうか。
Google翻訳で翻訳してみたところ
「ノートを終了」
もはや意味不明ですね。

もっと前向きな名前がいいですね。
探してみたら実はありました。
「ネバーエンディングノート」
終わらないんです。決して終わることなどないのです。
自分のネバーエンディングストーリーを書き連ねるのです。

まあ,そんな話はどうでもよいのですが,注意点があります。
このようなノートとは別に遺言を書くことを忘れてはならないということです。
いくら自分の意思を明確にノートに示しても遺言にはなりません。
たとえば,「私の財産は,全てAさんにあげます」と自分の字で書いていても,法的には無意味です。
遺言書として効力を発生させるためには,日付,文章,名前を全て自分で書いて,印鑑を押さねばなりません。

思いを伝えるというのはとても大切なことですが,中途半端に争いを残すようなことをしては本末転倒ですね。

ウソ?記憶違い?

2015.02.15 [ 齋藤 健太郎 ]

ブライアン・ウィリアムズさんという,アメリカの有名なジャーナリストがいます。
私も良く知りませんが,NBCというテレビ局のニュースキャスター(アメリカでは,アンカーなんていいますね)で,ジャーナリストとして評価の高かった人のようです。
その人が,これまでイラク戦争で,ジャーナリストとして軍に同行した際に乗っていたヘリコプターが落ちたと言っていたのに,実際には落ちていなかったという問題が発覚したとのこと。落ちたのは,自分が乗る前に飛び立っていたヘリコプターだったようです。
それに対して,この方は,「記憶違いだった」と釈明したようですが,当然誰もなるほどとは思ってくれません。このような衝撃的なイベントについて,記憶違いなんて普通はないでしょう。

たしかに人間の記憶はとても怪しいものだというのは弁護士をしていると常日頃感じることです。
故意ではなくとも,記憶が書き換えられることは常に起きていると言って良いと思います。
人によって差はあるとは思いますが,都合の良いように自分の記憶を変えてしまうとか,イメージに引きずられてしまうということはよくあります。

では,彼はなぜこんなことを繰り返し言ってしまったのでしょうか・・・。
実は一番事実が歪められるのは,そこにわかりやすいストーリーがある場合です。そのストーリーに合うように記憶も作られていき,事実は組み立てられる。
このキャスターの場合には,「戦場で危険も顧みずに真実を追いかけたジャーナリスト」というとても大切なストーリーがあったのでしょう。そしてそのストーリーが彼そのものとなり,彼の人生を支えてきた。テレビもそれを必要とし,視聴者もそれを期待した。彼は「記憶違いだった」というほかなかったのでしょう。
真実を追いかけるはずのジャーナリストが自ら体験した事実を歪めてしまうという何とも残念な話です。

となりの外国人

2015.02.09 [ 齋藤 健太郎 ]

福岡出張の帰りの飛行機でした。

離陸直前に,キャビンアテンダントさん(以下,CAという。)が,私の座席の並びの窓際の若い女性に,
「足下の荷物を座席の下に入れて頂けますか」
と言いました。たまに言われるやつですね。私は言われるのが嫌なので必ず入れます。
しかし,女性はよくわからず,前の座席についているアミの荷物を出そうとしたり・・・。
CAがなんどか説明しても足下の荷物を入れられず,私の隣の連れと思われる年配の男性も何も言いませんでした。
そこで,CAは突然英語で話し始めました。
「Could you please...」
CAが英語で話し始めてすぐに,女性はおそらく,自分から気がついて足下の荷物を入れました。
そうか,外国の方だったのか。それでわからなかったのか。
最近は,アジア系の方々が日本に沢山いますし,特に雪祭りシーズンならなおさらです。

その後,恒例のドリンクサービスがあり,私はスープを頼みました。
そして,隣りの男性は何を頼むのかなと思っていたら
「コーヒーをお願いします」
と完全に日本人の発音で答えたではありませんか。
うーん。日本人だったのか・・・。そう考えるとCAは勝手に日本人ではないと判断して英語で話しかけたことになります。

でも,隣りで見ていると,二人は何も会話はしません。
たまに女性が指で外を示して,男性が写真を撮るということはありますが,会話は全くありません。

考えられるのは,
1 女性は外国人,男性は日本人。一緒に旅行?
2 女性も男性も日本人だが,女性は障害などにより会話が困難。
3 女性も男性もアジア人だが,男性は日本語が上手。
というところでしょうか。
3は直感的にない気がします。
1と2は判別つきません。

またどうでもいいことにエネルギー使ってしまいました。

北九州成年後見センター「みると」の視察に行ってきました。

2015.02.09 [ 齋藤 健太郎 ]

私が所属する札幌遺言・相続問題研究会という団体のメンバー(といっても二人)で,「みると」という団体の視察に行ってきました。

皆さんも成年後見制度は聞いたことがあると思います。
成年後見制度は,代わりに財産管理などをする人を,家庭裁判所に選んでもらうという制度ですが,後見人が一人では対応しきれない場合などもあります。
そこで,「法人」つまり会社みたいなもの(「みると」は一般社団法人というものです)を後見人として選んでもらうことが考えられます。
そうすれば,法人に所属するみんなでチームになって後見人の仕事をすることができます。
特に,「社会福祉士」や「精神保健福祉士」という資格を持つ専門職の方などと弁護士が連係して,知恵を出し合うことによって,また,業務を分担することによって,より良い後見業務が可能となります。

「みると」はかなり歴史のある一般社団法人で,社会福祉協議会という組織と専門職が共同で運営しています。
このような法人は札幌にはまだありません。
弁護士も福祉職の方々も法人後見の必要性は感じているのですが,なかなか法人を作るという話にはなりません。
法人を作ることはとてもエネルギーのいることですし,重い責任も生じます。
特に人を雇用して場所を借りて運営するめにはお金が必要なので,市からの補助金も含め,その手当を考えなければなりません。
そこで,まずは,視察をしてどのように設立され,運営されているのかを見てこなければと思いました。
お話によると,北九州は人口が100万人くらいですが,高齢化率がとても高いようです。
そのために問題意識も早くから醸成されていたのかもしれませんね。

長時間お話を伺ったうえに,フグ料理までご馳走になってしまいました・・・。
さて,札幌で何ができるか考えてみます。
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古稀の祝

2015.02.02 [ 齋藤 健太郎 ]

先日,父親が数えで70歳になるということで,古稀のお祝いをしました。

古稀の由来は,「人生七十古来稀なり」ということで,人間が70歳まで生きることは稀だという意味のようです。
昔は,筋骨隆々だった父も今となっては,膝の悪いおじいちゃんになってしまいました。
私も徐々に・・・というかすでにおじさんになっているので当たり前といえば当たり前ですね。

現在の日本人の平均余命は70どころではないのは皆さんもご存じだと思います。
そう考えると,本当に高齢化社会が進んでいるんだなと実感しますね。

ところで,交通事故や医療事故で,何歳まで働くことができたのかという問題を議論することがあります。
日本の損害賠償の実務では,67歳までというのが基本となっていますが(または平均余命までの期間の2分の1の長い方),この根拠は0歳のときの平均余命と言われているようです。定年で考えるなら,昔はもっと早かったはずでので,死ぬまで働くということを前提にしているのでしょう。
確かに昔の平均余命をみると,昭和30年で男性63.6歳,昭和40年で男性67.74歳,昭和50年で男性74.78歳となっています。平成25年ではなんと男性80歳!
そう考えると,67歳という基準も絶対のものではなく,平均余命に合わせて労働可能な期間も延ばしても良いのではないかと思いますが,不思議とそういう議論は聞いたことがありません。平均余命までの期間の2分の1に限定する理由もよくわかりません。亡くなるまで元気に働くというのもおかしいことではないはずです。

父の古稀を機に,より深く研究してみたいと思います。

弁護士の横領

2015.02.02 [ 齋藤 健太郎 ]

最近,弁護士の横領事件などがよくニュースで流れるようになりました。
とても恥ずかしい話です。

私も相続事件や後見事件などを比較的多く扱っており,大きなお金を管理する仕事をしています。
お金を預かり,管理することは,弁護士にとっては日常的な業務です。
こういうニュースが増えると,お金を預けている人や親族に,私も心配されてしまうのではないかと不安になります・・・。
さん!大丈夫です!私は1円たりとも手を付けていません!
かえって嘘くさい・・・。
後にニュースでこのブログが引用されないことを祈ります。

さて,果たしてなぜこのようなことになってしまうのでしょうか。
横領なんかしても,補填できなければ後でバレることは確実ですし,その場合には弁護士として生きていけなくなります。
高飛びでもするなら別かもしれませんが,通常は横領することのリスクやデメリットの方が高いはずです。

一つの理由として経済的な困窮というのはあるでしょう。
弁護士とはいっても波のある商売ですから,苦しいときに手を出してしまうというのはあるかもしれません。
しかし,人の金です。死んでも手を付けないという覚悟でやらねばなりません。
お金を一時的に借りるということもできるはずです。

同じような理由ではありますが,病気というのもあると思います。
一時的に収入が無くなってしまう状況で,人件費や家賃などの固定費は必ずかかっていきます。
特にうつ病などになると思考がまとまらなくなり,冷静に考えられないこともあるでしょう。
後で取り返そうという思いから手を付けてしまうのかもしれません。
弁護士にも所得補償保険というものがあり,私も加入しています。
病気になって入院しても一定のお金が払われます。転ばぬ先の杖ということで準備はしておかねばなりません。

実はあるのではないかというのが,認知症です。
知らないうちに認知症が進行しており,もはやお金の区別を十分につけられないということもあるかもしれません。

あとは愛人がいて貢ぐとか・・・。

まあ,愛人も含め,今のところいずれの問題もありませんのでご安心ください。

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