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神村 岡弁護士ブログ

父子関係とDNA鑑定

2014.04.26 [ 神村 岡 ]

離婚した女性と子供が元夫との父子関係の取消を求めた裁判で,DNA鑑定の結果を重視して取消を認めた高等裁判所の判決が,最高裁で覆るかもしれません。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140424-00050212-yom-soci

この事件では,DNA鑑定上は元夫と子供との間に血のつながりはないことが明らかになっていますから,血のつながりをもって親子だとするのであれば,高等裁判所の判決のように,父子関係は取り消すべきということになるでしょう。

しかし,民法上,婚姻中の女性が妊娠した子供は,夫の子と推定されることになっています。したがって,仮に血のつながりがなくとも,法的には夫は父親と推定されます。

もっとも,あくまで夫の子と推定されるだけですので,夫は嫡出(夫婦の間に生まれたというような意味です)否認の訴えを起こして認められれば父子関係がないことになります。

また,夫が父子関係の不存在を認めず,母や子の側が父子関係を否定したい場合には,親子関係不存在確認の訴えを提起することになります。
これが今回の訴訟です。

そして,最高裁で覆るかもしれないというのがなぜかというと,最高裁で弁論(法廷で当事者双方が主張を行うための手続きのこと)が開かれることが決まったからです。

弁論が開かれるとどうして高裁判決が覆るかもしれないのかというと,最高裁は通常,高裁判決をそのまま維持しようとする場合には弁論は開かないものだからです。弁論が開かれるということは,最高裁が高裁の判断に何らかの問題があると考えているということを意味するのです。

そして,今回についていえば,DNA鑑定で血のつながりがないことがはっきりした以上父子関係は取り消すという高裁の判断について,最高裁が問題があると考えていることになります。

それではどのような結果になるのでしょうか。

ここからは,事案の詳細を知らない上での推測になりますが,最高裁は,DNA鑑定だけで結論を出さずに,取り消すことによる不利益などをもっと調べなさいという結論を出して,審理を高裁に差し戻すのではないでしょうか。

いずれにしても,法律家にとってはかなり注目度の高い判断になります。

教師でもあり,親でもあり

2014.04.24 [ 神村 岡 ]

先日,1年生の担任となる高校の先生が,他の高校に入学した自分の子供の入学式に出席するために,担任となる高校の入学式を欠席したというニュースがあり,少し話題になっていました。


新入生の担任となる先生が入学式を欠席するなんてあり得ないという,かなり批判的な意見が出る一方で,理解できるという意見も多く,面白い議論になっているなと思いました。

仕事を休んで自分の子供の入学式に出るというのは,親としてごく一般的なことだと思います。教師であるというだけでこのような批判が出たのは,教師は特別な職責を負っている職業で,業務を最優先すべきだという見方があるからでしょう。

確かに,教師の仕事である児童・若者の教育というのは重要な仕事だと思います。そして,伝統的に,教師は「尊敬されるべき存在」であったのではないでしょうか。

しかし,だからといって,教師は自分の子供の入学式を優先してはならないということにはならないように思います。

親にとって,子供の入学式は一度しかありません。ですから,自分の子供の入学式に出たいという気持ちは尊重されるべきだと思います。

担任の先生が入学式を欠席して,新入生はあれっと思うかもしれませんが,翌日顔を合わせて普通に学校生活がスタートするでしょう。入学式に欠席することで特段問題が生じるとは思えません。

あるいは業務に対する姿勢の問題ということかもしれませんが,いずれの入学式を優先するかは個人の価値観の範疇の問題ではないでしょうか。

弁護士の業務においては,裁判を含めて日程調整は結構融通が利きますので,だいたい予定を入れたくない日には予定を入れないでおくことができます。そのため,自分自身は業務と子供の行事のどちらをとるかという問題に直面する可能性は低そうです。

しかし,全国的な大会が入ってしまったとか,その日に予定を入れないとかなり遅れてしまうとかいった事情があって子供の行事とかぶってしまう場合,どうするかは悩ましいですね。ケースバイケースで検討することになりそうです。

表現の自由と自治体

2014.04.21 [ 神村 岡 ]

今日の夜のニュースで,自治体がイベントなどへの協賛を断るケースが増えていると耳にしました。

例えば,集団的自衛権の行使や改憲の是非など,政治的に議論があるテーマについて特定の立場を表明するような団体の集会については,政治的中立性を疑われることのないよう,協賛の依頼があっても断るという話です。


協賛を断ったケースについて,「表現の自由を侵害していて憲法違反」だということはできないと思います。なぜなら,協賛するか否かは基本的には自治体が自由に判断するもので,元々住民に協賛を受ける権利が保障されているわけではないからです。

しかし,だからといって,世論が大きく割れているテーマについて協賛を控えるのが自治体のあるべき姿だとは思いません。

住民の表現の自由を保障し,様々な意見を表明することのできる健全な社会にするためには,たとえ世論が大きく割れているテーマであろうと,他のテーマと同様の基準で協賛すべきものには協賛するという姿勢が必要だと思います。

自治体としては,協賛をするか否かについて政治的に中立な基準を設け,それに基づいて協賛の是非を判断すべきだと思います。内容を見て恣意的に判断するべきではないということです。


もし,協賛ではなく市民会館等の自治体の施設の利用を断ったということになると,それが利用する団体の主義主張の内容を理由としたものであれば,表現の自由を侵害していることになります。

住民は市民会館等の自治体の施設を利用する権利をもっていて(どの条例にも規定されていると思います),施設利用上の支障がない限り利用を拒まれることがないはずだからです。

自治体が施設の利用を集会の内容だけを理由に拒むということはさすがにないだろうと思いますが,過去には,反対派による激しい抗議活動が予想されるという理由で市民会館の利用が拒否され,憲法訴訟になったこともあります。

大麻はお酒のようなもの?

2014.04.18 [ 神村 岡 ]

日本では大麻(マリファナ)は厳しく取り締まられており,資格を持たない人が大麻を所持したり使用したりした場合,5年以下の懲役が科されます。

ところが,海外に目を向けると,大麻が合法とされている国や地域が少なからずあり,しかも合法化が加速する動きすらあるようです。


アメリカのオバマ大統領は,過去に自身が大麻を使用していたことを明らかにし,「大麻は酒より危険ではない」とも発言し,大麻に寛容な姿勢を見せています。

まさに,ところ変わればルールも変わるということですね。


確かに,お酒も十分危険です。
急性アルコール中毒で亡くなる方はいますし,依存性もあります。
お酒を飲んで車を運転すれば,道路交通法に違反するのはもちろんですが,実際に危険です。

しかし,やはりお酒と大麻を同列に論じるのはかなり違和感があります。


アメリカで最初に大麻が完全合法化されたコロラド州では,連日大麻販売店が賑わっているようです。

お酒と同様に依存性のある嗜好品であることを考えれば,さもありなんという気はします。

しかし,合法化してしまった大麻が社会問題になる日がいつか来るのではないでしょうか。






少年法改正

2014.04.12 [ 神村 岡 ]

有期懲役の上限を引き上げるなどの内容で,少年法が改正されました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140411/k10013661431000.html

そもそも少年法というのは,非行したり犯罪を犯したりした未成年に対する処遇,処罰を規定している法律です。

大人が犯罪を犯すと,刑法などによって刑罰が科されることになりますが,未成年の場合,大人と同じことをしても刑罰が軽かったりします。

これは,未成年が大人よりも善悪の判断がつかないこと,単にやったことの責任を負わせるのではなく,後見的な観点から指導をした方が,本人の更生につながり,再犯可能性も低下することなどが理由です。

一般的に,若いうちは過ちを犯しやすいものだと思います。
若いときに犯した一度の過ちで大人と同様に長期間収容されることになると,上手く社会復帰できず,結局は再び犯罪に走ってしまうということも考えられます。
したがって,本人の更生という視点は,少年事件では欠かせないものです。

今回の改正では,有期懲役刑の上限が引き上げられ,これまでよりも重い刑罰を科しやすくなりました。
最近は,少年犯罪に限らず,厳罰化の傾向があるように思います。
その善し悪しは難しい問題ですが,こと未成年に関しては,本人の更生の視点が重要なのは変わりません。

なお,今回の改正で,国選付添人の対象事件が広がりました。
付添人というのは,一般の刑事事件でいうところの弁護人で,少年事件において後見的な立場から少年の弁護を行います。
国選というのは,国が費用を出して選任するということで,少年事件に関しては,一定の重大な犯罪に限って国が付添人を選任しています。

それ以外の事件についても付添人がつかないわけではなく,公的な付添人費用の援助制度がありますので,ほとんどの少年事件では付添人がついています。

私も,何件か少年事件を担当したことがありますが,どのような処分や対処が本人の更生にとって良いのか,いつも考えさせられます。



捕鯨

2014.04.04 [ 神村 岡 ]

国際司法裁判所で,南極海における日本の調査捕鯨が国際捕鯨取締条約に違反しているという判決が出ましたね。

この判決が出た以上は,これまでどおりの調査捕鯨を南極海で行うことはできなくなりますし,他の地域での調査捕鯨にも影響が出るかもしれません。

個人的には,調査捕鯨の禁止は正当なものではないと思います。調査捕鯨によって,鯨の生態や生息数についてのデータの収集が可能になり,ひいては鯨の保護にもつながりますし,現に調査捕鯨によって鯨の数が減少しているということもない(と思われる)からです。

ただ,国際捕鯨取締条約を前提とすれば,判決は正当だろうと思います。

条約は,基本的に捕鯨を禁止していて,例外的に調査捕鯨のみを認めています。
日本が行っている「調査捕鯨」が真に調査捕鯨であれば問題はないのですが,実態は商業捕鯨の側面がかなり強いのではないでしょうか。この点は議論のあるところだと思いますし,裁判でもこのあたりが肝だったのでしょうが,捕獲数がかなり多いことや特定の種類に偏って捕獲していることを考えると,純粋な調査捕鯨とは見にくいのではないかと思います。
とすると,「調査捕鯨」の名目で実態としては商業捕鯨を行っているということになりますので,それは条約違反だろうという結論にどうしてもなってしまいます。

日本としては,捕獲数を減らすなどして,実態としても調査捕鯨だと胸を張って言えるような状態にするより他ないと思います。

しかし,個人的には,商業捕鯨を原則禁止するという条約の枠組み自体が果たして妥当なものなのかという疑問があります。

確かに,乱獲によって生息数が減少することは避けなければなりませんが,そのためには捕獲数をコントロールすればよいのではないでしょうか。

また,捕鯨に対しては残虐だという論調の批判がありますが,そもそも他の生物を食料として人は生きていますから,捕鯨だけ残虐だというのは筋が通っていないと思いますし,何より,捕鯨をするかどうかは結局は食文化の問題だと思うからです。

今回の判決が,捕鯨と鯨食という食文化の否定につながらないかが心配です。

もっとも,私自身はほとんど鯨を食べていませんけどね。

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